【THE REAL】初勝利に導かれた涙の意味…湘南ベルマーレを再加速させる指揮官の眼力とマネジメント力 | Push on! Mycar-life

【THE REAL】初勝利に導かれた涙の意味…湘南ベルマーレを再加速させる指揮官の眼力とマネジメント力

心の奥の、さらに奥まで見透かされている。湘南ベルマーレのボランチ、石川俊輝は驚きにも近い思いを抱きながら、気がついたときには胸中に溜め続けてきた苦悩をすべて打ち明けていた。

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湘南ベルマーレ 参考画像
  • 湘南ベルマーレ 参考画像
  • 曹貴裁監督 湘南ベルマーレ公式サイトよりスクリーンショット
  • 奈良輪雄太 湘南ベルマーレwebサイトよりスクリーンショット
  • 石川俊輝 湘南ベルマーレwebサイトよりスクリーンショット

心の奥の、さらに奥まで見透かされている。湘南ベルマーレのボランチ、石川俊輝は驚きにも近い思いを抱きながら、気がついたときには胸中に溜め続けてきた苦悩をすべて打ち明けていた。

ホームで大宮アルディージャに0対1で苦杯をなめて、泥沼の連敗が「5」に伸びてから数日後。石川は曹貴裁監督から個人的に呼び出されている。

向かった先はクラブハウス4階にある監督室。何を言われるのか。怒られるのか。自分が何かしでかしたのか。静寂が緊張感を高めるなかで、指揮官は切り出した。

「最近試合に出ていて、楽しんでいるか?」

図星だった。かねてから曹監督が「透視能力の持ち主」と呼ばれてきた理由がわかったと、心のなかで唸らずにはいられなかった。苦笑いしながら、石川が指揮官とのやり取りを明かす。

「大宮戦の前くらいから『自分が試合に出て何ができているのか』と考え込むこともありましたし、ときには『こんなプレーをしていていいのか』と葛藤することもありました。自分はもともと劣等感が強いタイプで、それがメンタルの弱さにもつながっていたので」

開幕から全試合に出場しながら、時間の経過とともに陥っていった負のスパイラル。誰よりも石川自身が、ピッチのうえでサッカーを楽しめなくなった理由をわかっていた。

キャプテンとしてベルマーレを支えてきたボランチの永木亮太が、オフに鹿島アントラーズへ移籍した。永木とコンビを組んできた菊地俊介も、3月下旬に右ひざ前十字じん帯損傷で戦線離脱した。

日本代表候補にも名前を連ねる、レジェンド的な存在である永木と同じプレーはできない。一方で菊地は全治8ヶ月の重症と診断され、シーズン中の戦列復帰が極めて難しくなった。

残された自分がやらなきゃいけない。同じ1991年生まれの同期入団で、今シーズンから副キャプテンを務める菊地の無念の思いも晴らさなきゃいけない。それなのに、チームは勝てずに最下位に沈んでいる。

熱い想いと非情な現実のアンバランスが心を悩ませ、石川のプレーから躍動感と思い切りのよさを奪っていた。思いの丈をすべて伝えると、曹監督は静かに切り出した。

「お前はもともとそういうものを乗り越えて、ここまで来たんじゃないか」

(次ページ いまできることを懸命に)

■いまできることを懸命に

東洋大学から加入して3シーズン目。同期の菊地やDF三竿雄斗が1年目からレギュラーとして活躍する一方で、コツコツと努力を積み重ねた石川は、2年目の昨シーズンは11試合で先発の座を射止めた。

日々の練習は絶対に嘘をつかない。自分自身を信じろ。言葉に熱い檄を込めた曹監督は、敵地で行われた3月12日のサンフレッチェ広島戦の映像を石川の前で流しはじめた。

後半アディショナルタイムに不運なオウンゴールを許し、2対2で引き分けた一戦で、石川は後半8分から途中出場。4バックで組んだ最終ラインの前で、アンカーとして球際でアグレッシブに挑み続けていた。

「広島戦のプレーがすごくいい、ヒントになると、曹さんは言ってくれました。あくまでも自分なりの解釈ですが、結果に対する責任はまだ負えませんけど、しっかりと自分らしさを出してプレーすることが責任だと思ったんです。積極的にボールを奪いにいって、しっかりと前の選手に当てる。いま現在の自分にできるプレーを一生懸命すればいい。そう思うと、気持ち的にすごく楽になったんです」

言葉には直接出さなかったが、指揮官は「試合の結果に対する責任は監督が取る」というメッセージも込めていた。しっかりとそれを受け止めた石川は、もう迷わないと決意を固める。

迎えた4月30日。敵地に乗り込んだ横浜F・マリノス戦。1997年5月3日を最後に19年間も勝てていない天敵に挑んだ大一番で、石川が任されたポジションはサンフレッチェ戦と同じアンカーだった。

システムは「4‐3‐3」で、石川は逆三角形で組んだ中盤の底を務めた。代名詞でもある「3‐4‐3」を変えた理由は、何もマリノスに合わせたわけではない。曹監督が力を込める。

「失点したくないと怖がるあまりに、3バックではなく5バックになっていた。それでは湘南の攻撃的なスタイルは出せない。選手たちに『攻めよう』というメッセージを伝えたつもりです」

もちろん「攻める」には守備も当てはまる。最終ラインを高く保ち、前線から絶えずボールホルダーへプレッシャーをかける。攻守両面で相手よりも人数をかけることが「湘南スタイル」の一丁目一番地だからだ。

そして、右サイドバックには奈良輪雄太が起用された。ジュニアユースからマリノス一筋で育つもトップチームには昇格できず、筑波大学を経て2010シーズンにJFLのSAGAWA SHIGA FCに加入した。

すぐにレギュラーを獲得し、JFLの新人王にも輝いた。Jリーガーへはい上がっていくための第一歩を踏み出したが、親会社・佐川急便の都合で、チームは2013年1月をもって解散してしまう。

藁にもすがる思いでマリノスの練習に参加すると、JFLでの成長の跡が認められてプロ契約を勝ち取る。左右のサイドバックを務められる貴重なバックアッパーとして、2シーズンで27試合に出場した。

もっとも、好事魔多し。左ひざの内側側副じん帯を損傷したことも響いて、昨シーズンはわずか1試合の出場にとどまる。複数年契約が切れた昨オフ。マリノスからは契約延長のオファーも受けた。

しかし、奈良輪はあえてそれを固辞。ベルマーレを新天地に選んだ。8月には29歳になる。ベテランの域にさしかかるなかで、心技体を根本から鍛え直したい。サッカー人生を見すえたうえでの決断だった。

ベルマーレの厳しさを、マリノス時代のチームメイト、MF熊谷アンドリュー(現ツェーゲン金沢)から聞いていたのだろう。2014年夏に期限付き移籍でベルマーレに加わった熊谷は、初練習で目を丸くしている。

「ここはサッカーではなく、格闘技をしているのかと思いました」

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■湘南の一員として

リーグ戦を翌日に控えた練習は、他のクラブならば軽めの調整に徹する。翻ってベルマーレは、セットプレーの確認にしても実戦さながらの激しさでぶつかり合い、熊谷に強烈なカルチャーショックを与えた。

果たして、マリノス戦を翌日に控えた4月29日の練習でも、奈良輪とポジションを争う岡本拓也が左肩を負傷。マリノス戦ではベンチにも入れなかったが、こうした激しさこそが奈良輪が求めたものだった。

「日産スタジアムに着いたときは高ぶるものがあったし、去年までずっと一緒に戦ってきた選手たちと(敵として)話していて不思議な感じもした。自分は性格的に緊張してしまうタイプなので、できるだけ意識しないように努めていましたけど、結局は意識せずにはいられない相手でしたね」

苦笑いで振り返った90分間で、奈良輪は体を張り続けた。後半34分にFW伊藤翔が決定的な状況から放ったシュートにスライディングで飛び込み、右足で懸命に弾き返したのは奈良輪だった。

右サイドから司令塔・中村俊輔に絶妙のクロスをあげられた同42分。ノーマークで飛び込んできたMF齋藤学に果敢な空中戦を挑み、シュートを許さなかったのも奈良輪だった。

齋藤と体をぶつけ合った衝撃でバランスを崩し、落下したピッチに右ひじを強く打ちつけた。もっとも、苦悶の表情を浮かべたのは一瞬だけ。激痛を訴える右ひじを抑えながら、奈良輪はすぐに立ち上がった。

「本当に痛かったけど、無駄に時間稼ぎをしたくない、という気持ちがあったので。正々堂々とぶつかったうえで、マリノスに勝ちたかったので」

4分間が表示された後半のアディショナルタイムが、やたらと長く感じられる。マリノスの猛攻を一丸となって防ぎ、後半3分にキャプテンのFW高山薫があげた千金の1点を死守した直後だった。

今シーズン初勝利を告げる主審のホイッスルが鳴り終わる前に、奈良輪はピッチに突っ伏していた。涙がとめどもなく頬を伝ってくる。嗚咽を漏らしながら、気がつけば鳥肌を立たせながら号泣していた。

「あまり感情を表に出すタイプではないし、実際に泣いたのも人生で1回か2回くらいなんです。なぜ涙が出てきたのかは自分でもよくわからないんですけど、自分を育ててくれたマリノスを見返したいと思っていたわけではないんです。逆にマリノスへの感謝の気持ちをもって試合に臨んでいたし、自分の力をすべて出し切ることで、湘南の一員として認められたいという気持ちもあった。すべてを達成できたことで、素直に嬉しかったのかなと」

勝利の瞬間、ピッチのうえに大の字になって夜空を見上げていた石川の涙腺も緩みかけていた。目の前にいた奈良輪をねぎらいにいくと、たまらずに決壊。奈良輪の肩を抱きながら、石川もまた号泣した。

「いやぁ、ナラ君(奈良輪)の涙につられちゃいました。泣くつもりはなかったんですけど」

試合後の取材エリアで照れ笑いを繰り返した石川だが、もちろん本音は違う。最終ラインの前でフィルター役をほぼ完璧に務め、前半21分にはドリブルで攻め上がってから惜しいシュートも放った。

迷いやプレッシャーをすべてそぎ落とし、ベルマーレの心臓部において攻守両面で躍動した90分間。充実感と楽しさを覚え、そのうえでつかんだ白星はこれまでとは比較にならないほど大きかった。

「勝てないことに対して自分自身も責任を感じていましたし、やっぱり辛かった。それまでの試合では相手のボランチにプレッシャーをかけづらいというか、かけられない状況が続いていたんですけど、今日は前の選手がマークをしっかりと埋めてくれたおかげで、僕も狙いやすかった。前に出てもツボさん(坪井慶介)や(アンドレ・)バイアがカバーしてくれたので、安心してプレッシャーをかけにいくことができた。攻撃面で前の選手が顔を出してくれる回数が多かったので、いいボールを縦に入れることができました」

(次ページ 試合後ロッカールームで)

■試合後ロッカールームで

マリノス戦へ向けた全体ミーティングで、曹監督は0対2で苦杯をなめた3月20日の浦和レッズ戦の映像を何度も見せてきた。なぜ負けた試合の映像なのか。石川がその意図を明かす。

「負けたけどチーム全体で浦和相手にプレッシャーをかけられていたし、(日本代表GKの)西川(周作)さんが苦し紛れでクリアをする場面はそんなにないと、曹さんは言っていました。1ヶ月前はこういうプレーができていたんだと」

メンバーが大きく変わっている以上は、永木やU‐23日本代表のキャプテンを務めるDF遠藤航(レッズ)が在籍していた、昨シーズンの映像を見せても何ら意味をなさない。

GK秋元陽太(FC東京)とMF古林将太(名古屋グランパス)も抜けて、周囲の誰もが苦戦必至と予想していた今シーズンの戦いへ。曹監督はこんなビジョンを描きながら臨んでいた。

「移籍した選手たちはもちろん大事な存在だったけれども、僕は彼らに『主力』という言葉を使ったことは一度もないし、彼らがいないから何もできないとも思っていない。キャプテンと副キャプテン(遠藤と古林)が抜けたことはチームが新しく生まれ変われるチャンスでもあり、彼らが認められて移籍していった後に、我々がどのようにふるまえるかが求められているとも思っている」

荒波に見舞われても絶対にぶれない、大きくて頼れる指揮官の背中。現時点における100%以上の力を出し切り、ベルマーレの原点に立ち返ってもぎ取った今シーズン初勝利に、指揮官もまた目を赤く腫らしていた。

「勝ったことで選手たちが生まれたばかりの子どものような表情を浮かべながら、ロッカールームに帰ってくるのを見ると、監督という仕事をしていて本当によかったと。子どもじみた言い方になりますけど、今日のアイツらは魂をもって、相手を待ち構えるのではなく、自分たちから仕掛けていってくれた。いま現在の世界のフットボールが向かう方向、球際のバトルや運動量、スピード感といったところでアイツらのマックスを出そうと頑張ってくれたことが、自分のなかでは勝ったことよりも嬉しい」

そのロッカールームで、実は知られざるドラマがあった。試合後に行うミーティングを締める役として、ようやく涙を乾かせていた奈良輪が曹監督から指名されたのだ。もちろん移籍後で初めての大役拝命だ。

「まだ興奮していて、育ててくれたマリノスへの感謝の思いや湘南の一員として結果を出した喜びをしゃべっていたら、曹さんから『長い!』とダメ出しされました」

無我夢中で話していた時間は、奈良輪によれば5分を超えていたという。ロッカールームは瞬く間に爆笑の渦に巻き込まれ、同時に中3日で敵地に乗り込むサガン鳥栖戦へのモチベーションも一気に高まった。

奈良輪、石川、そして曹監督だけではない。同じくマリノスから加入したFW端戸仁も、高山の決勝ゴールをアシストしたMF菊池大介も精根尽き果てたかのようにピッチに倒れ込み、泣いていた。

勝ったチームがボロボロになり、涙腺を決壊させる。プロの世界では異例にも映る光景は、それだけベルマーレがマリノス戦にかけていた思いが大きかったことを物語っている。

初勝利をあげても、最下位からは抜け出せない。それでもベルマーレらしさを貫くうえで、もっとも大切なものをあらためて確認できた。

指揮官を信じて全力で駆け抜けてきた道を、これから先も迷うことなく進んでいく。流された幾重もの歓喜の涙は、育んできた「湘南スタイル」を力強く再稼働させるスイッチになる。

《藤江直人》
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