【THE REAL】鹿島アントラーズを救った赤崎秀平の一撃…約3カ月ぶりの復活ゴールを導いた伝統力 | Push on! Mycar-life

【THE REAL】鹿島アントラーズを救った赤崎秀平の一撃…約3カ月ぶりの復活ゴールを導いた伝統力

ひとりだけ逆方向に動いた。ピンチを察して戻るオークランドシティ(ニュージーランド)の選手たちと、チャンスの匂いを嗅ぎ取って詰める鹿島アントラーズの選手たちが混在するゴール前で、FW赤崎秀平の得点感覚が異彩を放った。

エンタメ エンタメ
赤崎秀平 参考画像(2015年5月5日)
  • 赤崎秀平 参考画像(2015年5月5日)
  • 赤崎秀平 参考画像(2015年5月5日)

ひとりだけ逆方向に動いた。ピンチを察して戻るオークランドシティ(ニュージーランド)の選手たちと、チャンスの匂いを嗅ぎ取って詰める鹿島アントラーズの選手たちが混在するゴール前で、FW赤崎秀平の得点感覚が異彩を放った。

横浜国際総合競技場で12月8日に行われたFIFAクラブワールドカップ2016の1回戦。1点を追う開催国代表のアントラーズのMF永木亮太が、MF遠藤康とのパス交換から縦へ抜け出した直後だった。

■「しっかりと逆方向に蹴るだけでした」

永木がクロスを送ると信じて、金崎夢生と土居聖真の両FW、そして左サイドバックの山本脩斗までが相手ゴール前へ迫る。相手ディフェンダーもひとりがフリーの永木に食らいつき、ふたりが必死に下がっている。

次の瞬間、永木は前へ加速がついていた自身の体を急停止させて、ゴールとは反対の方向へ、右足で軽くボールを折り返す。視界にはあえてバックステップを踏み、フリーになった赤崎がとらえられていた。

「(赤崎)秀平がひとりだけマイナスの方向へ動いていたので。あのタイミングでああいう動き方をしてくれると、だいたいフリーになる。それは感じ取ることができました」

以心伝心のリターンパスだったことを永木が明かせば、相手に悟られないように右手で小さく手招きをしながら、パスを要求していた赤崎も胸を張ってこう続いた。

「折り返しのパスが来るだろうと思ってポジションを取りましたし、(永木)亮太君から本当にいいパスが来たので。あとはキーパーとディフェンダーの動きを見て、しっかりと逆方向に蹴るだけでした」

赤崎の存在に気がついたDFキム・デウクが、向かって左から右へ、必死の形相でスライディング仕掛けてくる。キムとGKスビカライ、そして自分自身が一直線に重なる瞬間を待って、赤崎は右足を振り抜いた。

狙いを定めたのは、キムがもともといたゴールの左サイド。キムのビハインドになって、赤崎のシュートモーションを見極められなかったのか。スビカライの反応もわずかながら遅れてしまう。

インサイドキックから丁寧にコースを狙った弾道はスビカライが懸命に伸ばした右手の先をかすめて、ゴールネットの左隅に突き刺さる。後半22分。J1王者・アントラーズが息を吹き返した瞬間だった。

赤崎秀平 参考画像(c) Getty Images
■下克上で手に入れたJリーグ年間王者

年間勝ち点1位の浦和レッズを撃破し、年間勝ち点3位からの下克上を成就させて年間王者を獲得したのがわずか5日前。オセアニア王者と対峙したアントラーズは、前半に関しては著しく精彩を欠いた。

「前半は体が重たそうに見えましたし、相手陣内でボールは回しているんですけど、最終的にシュートにもっていく形が少なかった。コンディショニングの部分で問題があったのかな、と感じています」

試合後の公式会見で石井正忠監督が苦笑いしながら、最終的には逆転で手にした白星を振り返れば、ディフェンスリーダーの昌子源は「前半を終えて嫌な雰囲気を感じた」と偽らざる本音を打ち明ける。

「ミドルシュートを打てるチャンスもいっぱいあったやろうし、僕からしたら何であんなゴールで回すのかと思いました。先に失点してからスイッチが入るのは、非常に情けないことなので」

セットプレーに活路を見いだそうとしていたオセアニア大陸代表のオークランドシティは後半6分、直接フリーキックをキムが頭で叩き込んで先制する。その3分後に、アントラーズのベンチが動いた。

FWファブリシオに代わって投入された赤崎は、ハーフタイムの段階で指揮官から「後半途中からいくぞ」と耳打ちされていた。誰よりも赤崎自身が、前半の味方の戦いぶりに物足りなさを募らせていた。

「前半はとにかくシュートが少なかったので。自分が入ったらまずはシュートを積極的に打って、決定的なシーンをもうちょっと多く作り出せればと考えていました。

こっち(横浜)に来てからの紅白戦でも、リザーブ組がみんないいプレーをしていたし、ベンチの誰が途中から入っても活躍できるイメージがあったので。誰が入っても逆転できたと思います」

■3カ月ぶりの公式戦ゴール

赤崎にとっては9月3日のカターレ富山との天皇杯2回戦以来、約3カ月ぶりとなる公式戦でのゴールだった。J1に限れば実に8月14日のアビスパ福岡戦までさかのぼるほど、ゴールから遠ざかっていた。

佐賀東高校時代から全国的に注目され、浦和レッズからオファーも受けた。自ら描いたサッカー人生を歩むべく進んだ筑波大学では通算48ゴールと、関東大学リーグの通算最多得点記録を大幅に塗り替えた。

大学ナンバーワンストライカーの肩書を引っさげて、J屈指の名門に加入して3年目。昨シーズンの7ゴールから一転して、今シーズンのファーストステージでは10試合に起用されながら無得点に終わっていた。

胸中に募らせた大いなる危機感は、夏場から毎日最低でも30分を自らに課した居残りのシュート練習に表れていた。連日付き添ってくれたのは、日本代表でも一時代を築いた柳沢敦コーチだった。

「ゴール前でいろいろなボールを柳沢コーチに出してもらってシュートを打ち続けましたし、ただそれだけでなく、どんなシュートに対してもすぐにフィードバックしてくれたことが本当に役に立ちました。

本当に点を取れなかったなかで、どちらからともなく、という感じで始めたシュート練習ですけど、柳沢コーチにはいろいろな声をかけてもらってきたので、本当に感謝しています」

セカンドステージでも14試合で起用されながら2ゴール。結果そのものは出すことはできなかったが、必死にはい上がろうとする姿勢と状態が少しずつ上向いていく過程を、石井監督はしっかり把握していた。

■何が悪かったのか。何が足りなかったのか。問題点を洗い出す。

1点を追う展開となった状況で、ベンチスタートさせたエース金崎ではなく、赤崎を真っ先に指名した指揮官は「シュートに対する意識が非常に高いので」としたうえで、こんな言葉を紡いでいる。

「最近のトレーニングを見ていると、赤崎はいい形からのシュートをかなり見せてくれていた。それは必ず結果につながると思っていたので、彼をまず投入しました」

石井監督が寄せる期待に一発回答で応えた赤崎は、同点弾からわずか2分後にも決定機を得ている。MF柴崎岳の縦パスを巧みに呼び込み、密集のなかで体をうまく反転させてゴール前へ抜け出す。

ペナルティーエリア付近に迫ってから、思い切って右足を振り抜く。もっとも、このときはやや力んでしまったのか。シュートは左ポストをわずかにかすめて、スタンドのため息を誘ってしまった。

「あそこで決めていれば、今日はヒーローだったんですけど。まあ、ヒーローになり損ねた感はありますけど、次も試合に出れば必ず点を取れると思っているので、またいい準備をしたいですね」

苦笑いしながらこう振り返った赤崎は、終了間際に決まった金崎の逆転ゴールの余韻が残る試合後に、惜しくも外してしまったシュートに関して、柳沢コーチとすぐに話し合いの場をもっている。

何が悪かったのか。何が足りなかったのか。決めたシュートよりも決められなかったシュートに関してすぐに問題点を洗い出してもらえれば、思考回路を次なるチャンスへと切り替えられる。

現役時代はストライカーだった柳沢コーチだけではない。センターバックの大岩剛はサテライトの監督兼任で、同じくセンターバックだった羽田憲司とゴールキーパーの古川昌明もコーチ陣に名前を連ねている。

スタッフ全員が現役時代の多くをアントラーズで送ったレジェンド。そして、石井監督自身もJリーグが産声をあげた1993年5月16日のピッチに立ち、古川コーチとともに神様ジーコの薫陶を直接受けている。

他のJクラブの追随を許さない18個もの国内三大タイトルを獲得してきた伝統の勝負強さと、歴史のなかで育まれた勝者のメンタリティーはいまもなお、試合や日々の練習を通じてしっかり受け継がれている。

そして、柳沢コーチとの二人三脚で長く、暗いトンネルから抜け出すきっかけをつかみ、アントラーズが初めて臨んだクラブワールドカップでまばゆい輝きを放った赤崎も、クラブに脈打つイズムに感謝する。

「柳沢コーチからは『自分を信じてシュートを打て』とずっと言われてきました。それを今日出せたし、あらゆるスタッフの方々が、いろいろな形で協力してくれたことが支えになってゴールにつながりました」

休む間もなく、中2日の11日には舞台を大阪・市立吹田サッカースタジアムに移して、ある意味で未知の相手でもあるアフリカ大陸代表のマメロディ・サンダウンズ(南アフリカ共和国)と対峙する。

「どんな展開であれ、途中から出た選手が試合を大きく動かす。その意味では、次もそういう部分が大事になる。今日よりももっといいゲームをして、もっと強い鹿島アントラーズを世界へ向けて発信したい」

過密スケジュールだからこそ、リザーブの選手を含めたチーム全体の力が問われてくる。赤崎が残した決意にはJ1王者のプライドと、常勝軍団だけが胸に秘める覚悟とが凝縮されていた。

《藤江直人》
page top