広大な自然のフィールドを戦いの舞台とするトレイルランの世界で、国内外のトップレースを駆け抜けるプロトレイルランナーの鏑木毅選手。その活躍は日本での競技普及に弾みをつけ、多くの人に影響を与えた。
現在は競技活動のほかレースディレクターなどで大会運営にも携わり、トレイルランの発展に力を入れている。講演を行った「アスタリール・スポーツシンポジウム2016」(7月26日開催)後に、鏑木選手にトレイルランの魅力、練習方法などを聞いた。
---:鏑木さんはもともと早稲田大学で陸上競技、駅伝に取り組んでいました。走る土台は培われていましたが、約20年前にトレイルランニングを始めたきっかけは何ですか?まだ現在ほど競技が知られていない時代だったと思いますが。
鏑木毅選手(以下、敬称略):地元が群馬なのですが、28歳の時、新聞に地元でやっているトレイルランニングのレース記事が載っていました。ドロだらけになって山のなかを走っている選手の写真があって、それにグッと惹かれた。もともと陸上競技をやっていましたし、子どもの時から山が趣味で、両親に連れられて山に行っていた。トレイルランニングは(山と陸上競技と)別々にやっていたことが両方できる!といった感じ。
あと陸上競技で大成できなかった、挫折はしても走ること自体は好きだった。陸上競技とは違う走る世界はないのかなと思っていた時に衝撃的に、タイミングよくあったその1枚の写真がすべての始まりでしたね。
---:トレイルランニングのなかでも、鏑木さんはウルトラトレイル・デュ・モンブラン(Ultra-Trail du Mont-Blanc、通称UTMB)に代表される160kmもの距離を走破するウルトラトレイルというカテゴリーのレースに出場しています。学生時代はどれくらいの距離を走っていましたか?
鏑木:箱根駅伝は(1区間が)20kmくらいなので、フル(マラソン)は走っていませんが、練習では30km~40km走っていました。
■ウルトラトレイル挑戦での変化
---:そこからウルトラトレイルへの出場で走る距離がものすごく延びました。距離が長くなったことで、食べ物や練習方法で変化した点はありましたか?
鏑木:長い時間を走るようになったので、体脂肪を使える体を獲得しないといけませんでした。食事のスタイルも血糖値が上がりやすいような食事は控え、炭水化物は控えめにするスタイルに改めたり。練習も長い時は12時間ぐらい山のなかを走り、ゆっくり長く走るトレーニングを陸上競技よりも入れてきた感じです。
陸上競技は長くても2時間くらい走ればよかったのですが、トレイルランニングは長い時間動かないといけない。そういう練習、食事、マインドも変えて、人に勝つことや結果を出すことだけにとらわれてしまうとモチベーションがもたない。自然のなかで自分が好きなように楽しむという延長で、自分を追い込んで、より高みに自分を持っていく。そのサイクルがよかったと思います。
---:鏑木さんはアスタキサンチンを以前から飲んでいると聞いています。アスリートがよく飲むアミノ酸などのサプリメントは摂っていますか?
鏑木:昔からサプリメントにはこだわってなかったんです。39歳で始めたアスタキサンチンが、初めて本格的に摂りだしたサプリメント。アミノ酸などを補助するサプリメントはたまに飲むけど、恒常的に飲み続けたサプリメントはアスタキサンチンですね。8年飲み続けています。
---:アスタキサンチンを摂るようになって体の疲れなど、どのような変化を感じましたか?
鏑木:まず目覚めがよくなったのが一番最初の反応。それが2週間くらいで(効果が)出たのかな。次に2カ月ぐらい経ってから、30代後半になってガクッと落ちていた脚力が復活してきました。連日追い込むトレーニングをしても回復がすごく早くなった。
あと髪の毛ですね(笑)。
---:髪の毛?
鏑木:40代の手前でもみ上げなどに白髪が混じってきて頭頂部も薄くなってきたのが、飲み始めてから白髪が目立たなくなった。毛が戻ってきて、同じ年代にしては白髪が少なくて。
---:若返ったんですね(笑)。
鏑木:若返って、肌も山で日焼けしても、そんなにシミにもならない。ただ、僕にとって一番良かったのは体脂肪の燃焼効率が上がったことです。2008年にモンブランを1周するレース、UTMBに出た時に、絶対にこれ以上のタイムは出せないだろう、自分の持っている120%(の力)を出したようなタイム、最高の結果を出せた。その2008年の秋の終わりぐらいに飲み始めたんですよね。
アスタキサンチンを飲み始めて、2009年のUTMBで無理だと思われたタイムを1時間も縮めることができた。それは多分、体脂肪の燃焼効率が上がったから。脚力はそんなに変わらないし、むしろ落ちている。年齢的に落ちる段階なのに、体脂肪の燃焼効率を上げることでパフォーマンスを上げられた。それが僕にとっては一番大きい変化ですね。
---:それは飲み始めてどれくらいで感じましたか?
鏑木:半年ぐらいかな。長い時間を走っていても後半でも疲れない。10時間から12時間走るトレーニングをしているので、そういった時は8時間を超えるとフラフラするのに、飲み始めてから体脂肪をうまく使えるようになって、最後までキープできるように感じました。
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■“休憩”で心がけていること
---:スポーツシンポジウムでは「勝つための“質の高い休息”」という話もありました。休憩するときに心がけていることはありますか?
鏑木:短期的に言えば、食事はすぐ摂取する。良質なタンパク質を(体が)ダメージを受けたらすぐに摂ること。あと気がせってくると練習練習って自分を追い込みがちになるので、心を鬼にしてしっかり休む。休むのが恐怖の時がある。結果を出さなければと思うと、休むことが出すべき結果から一歩下がるような感じがして、休めない自分が出てくる。
そうじゃなくて休むことで1回落としておいて、そこから超回復させる気持ちを常に頭にインプットして。その意識を強くもたないとまずいなと、その意識を変えたりしましたね。
---:1週間でこの日は休むとかあるんですか?
鏑木:決めていなくて、体が欲する時ですね。起きた時に心拍数がちょっと高いとか、疲労熱といって少し微熱があるような、体温が高くてダルさで気持ちが乗らない時は、予定していたスケジュールがあっても流して、体の声を正直に聞く。スケジュールがあっても自分の反応がダメだと思ったらキッパリ諦めて練習をしない。自分の体の声を素直に聞く耳を持つ、反応をよく見る、それが重要かな。
---:ディスカッションで「やる気の育て方」という話題がありました。疲れがたまると練習のやる気もなくなると思います。以前は仕事をしながらトレイルランナーとして活動していた鏑木さんは、そんな時どうやってやる気を出していましたか?
鏑木:僕はワクワクする気持ちになるようにモチベーションを持っていく。走ることで自分が知らないステージ、高みに行くことで、見れない世界を見ることができるワクワク感。前向きに、ネガティブに考えずに。疲れてくるとネガティブになってくるじゃないですか。ワクワクする気持ちを起こすことが重要で、義務的になったりするのが一番よくない。
僕自身にとって山を走ることは好きなことなので、(気持ちが)自然に出てくるというか。平日は地味なトレーニングをするんですよね、階段を上ったり、アスファルトでスピードトレーニングをしたり。でも、自分が山で楽しめるために、そのための準備だとか、そういうことを考えながら。
ポジティブにワクワクする気持ちを常に思い出す、僕はそういうところかな。
■クマにも出会ってしまうトレイルラン
---:山を走るトレイルランニングだからこそ、というエピソードがあれば教えてください。
鏑木:世界中のレースで、見たことがない景色を見られたり、絶対に観光では行かないような所を走ったり、そういう喜びがすごくあります。トレイルランニングは山でやるスポーツなので、装備を持っていかないといけない。その装備を持っていかなかったとか、壊れたとか、そういうアクシデントは多いですね。あと会いたくない動物に会ったこともあります(笑)。
---:クマとかですか?
鏑木:クマには5回ぐらい会っています。その内3回は直面しました。あとアメリカに行くとマウンテンライオン(ピューマ)と言う動物も。僕は会ってはいないけど、そういう動物が出るような危ないエリアを走ったりもしました。
---:レース中に困ったトラブルなどありますか?
鏑木:ヘッドライトのトラブルですね。夜間を走るレースにも出るので、壊れたら真っ暗闇ですからね。あと補給を失敗した時。ジェルと言う補給食を持って行くのですが、山に入ってエイドステーション(補給所)に降りてくるけど海外だと道もわからない。思った以上にエイドステーションまで長くて、途中で食料が切れた時もありました。
---:どんどんエピソードが出てきそうですね。
鏑木:色々ありますね、自然のなかでやるスポーツなので。苦しいけど景色に助けられる時もあったり、奥が深いスポーツですね。
---:160km走る時は何を考えているんですか?
けっこう戦略的なことをずっと考えていますね、補給をどうするかとか。30分に1個ジェルを摂らないといけないので、ここで摂るべきかとか、胃腸の調子はどうだとか、ペース配分はどうかとか。意外にボーッとしている時間はあるようでない感じ。
---:景色を見ている余裕は?
鏑木:あります。あとトップ選手同士で(走りながら)会話したりしていますね。そんなにペースが早くないので、世間話みたいな、終わったらビール飲もうかとか、あの山なんて言うの?とか。でも100kmを越えてくると意識がだんだん飛んでくるので、幻覚とか見ながらね。そこを乗り越えるためのメンタルコントロールですかね、無理矢理楽しむんだとコントロールすることはけっこうやってますね。
【次ページ トレイルランはオリンピックになるのか?】
■トレイルランはオリンピックになるのか?
---:オリンピックにトレイルランはまだ含まれていませんが、将来的なオリンピック競技化に向けて動きはありますか?
鏑木:短いトレイルランニングのスタイルならオリンピック競技を目指す動きはあるようですが、オリンピックはどの開催地でも同じ条件でできる環境がなければいけない部分もある。山は天然の山だし、夏のオリンピックは(競技を)増やすのが難しい状況もある。僕自身はオリンピック競技にならなくちゃダメだと、それほど思っていません。競技スポーツとしての側面もありますが、このスポーツの魅力は競技だけではない部分もある。
自転車競技はオリンピックや世界選手権があるけど、最高の栄誉はツール・ド・フランスなんですよね。そういうスタイルのほうがあうのかな。なかなか難しい問題ですよね。
---:オリンピックで楽しみにしている競技は?
鏑木:月並みながら、マラソンですかね。やっぱり僕も同じ走ることをやっているし、もともと陸上競技の選手だったし。日本人が一番メダルを獲れる位置にあると言われてきたスポーツでもあるので、興味があります。あとオリンピックは普段は観れないマイナーな競技も観れるので、こういう世界もあるんだというのを観るのも楽しみです。幅広く観ていますね。
---:シンポジウムにはさまざまな競技の方が講演しましたが、普段ほかの競技の方と交流や情報交換などはありますか?
鏑木:実はあまりなくて、自分自身よくないなと思っています。そういった意味で今日は有意義なシンポジウムでした。野村(忠宏)さんの柔道の話も、ああそうなんだと意外な部分が見れたり、先生方の話もためになりました。他の競技の方の話を聴いて、練習に取り入れられるエッセンスもあるんじゃないかと思って。いろんなスポーツの方と交流していきたいと思っています。
---:聴講者は指導する立場の人も多かったそうです。今後どのようにいかしてほしいでしょうか?
鏑木:気持ちをつなげていくことが重要だと思います。どうしても指導者の方は目先の結果にとらわれてしまって、結果を出すためにこうする、というプロセスを踏みがち。でも人間はどこでどうやって芽が出るかわからないですし、将来を見据えた指導、野村さんも話していましたが技術的な細かい部分よりも心を鍛えるような、そういった部分がすごく重要。
人としてこうあるべきとか、この局面の時はこうやって耐えてこう乗り越えるみたいなノウハウを学ぶというのは、社会に出ても同じパターンというのはある。そういうのを学ぶのがスポーツの本質だと思う。なかには(スポーツを)仕事にして活躍していく選手も出てくるけど、それはほんの一握り。多くの人たちはどこかでスポーツを、競技者としての向き合い方を諦めて、次のステージに行く。そこが本当のスポーツの力、可能性のような気がする。
そういう人としてのありかたとか、将来を見据えた一歩俯瞰(ふかん)した目線で指導してもらえたらいいなと思いますね。競技的になる時もあるけど、すべてそれにとらわれる必要はないと思う。昔はそういう指導で少年時代に取り組まされてきたので、それへのアンチテーゼじゃないけれど、すごく感じますね。
トレイルランニングは自分自身で選んで、自分自身で開拓して、自分自身で強くなったというプロセスが、すごくワクワクする気持ちでできた。それで(UTMBで)世界3位まで行けたと思うし、少年時代の僕の走ることはそうじゃない部分があった。もっと違う切り口だったら、もっと違うことができたのかなと反省として思っています。
---:鏑木さんにとってトレイルランの魅力とは?
鏑木:やっぱり、遊び?遊びの要素が強いスポーツだと思うんですよね。山に行って日常から離れて、いい景色を見たり綺麗な空気を吸ったり、そのなかで自分の好きなランニングができるのはすごく贅沢な遊びだと思っていて、その感覚を絶対忘れちゃいけない。
自分自身はプロフェッショナルなので結果を出さないといけないし、勝つこともあるのだけど、それにとらわれすぎてしまうと心が疲れてしまう。そもそも好きで始めたトレイルランニングが嫌になってくるのは、その流れで何回も経験しているので、やっぱり自分にとっては遊び。真剣に付き合う遊びなんだと、その感覚を強く持っていないと。そこが自分にとっては重要。遊びは義務じゃないですよね。自分から率先してやるものじゃないですか。そのモチベーションを持つことが重要かな。
---:将来的な目標を教えてください。
鏑木:ウルトラトレイルという160kmを走るカテゴリーで、50歳までは世界トップレベルで戦いたいですね。あと3年ですかね、1年1年がギリギリのチャレンジなんですけど、それが大きいかな。あとは生涯現役みたいなのはありますね。世界トップレベルではなくなっても山を走っていたいなって。遊びの終わりはないわけだし、人間歳を取ったら、遊ぶのを止めるわけではないよね。遊びは死ぬまでやるものだと思っているし、そういった意味で自分にとってトレイルランニングは本当に遊びですよね。
●鏑木毅(かぶらき つよし)
1968年10月15日、群馬県生まれ。2009年に世界最高峰のウルトラトレイルレース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(UTMB)」で3位入賞。以降、欧米のレースで活躍する。また、競技普及にも精力的な活動をしており、富士山周辺を舞台にしたUTMBの姉妹レース「ウルトラトレイル・マウントフジ」では大会実行委員長を務めている。