【THE REAL】不動のキャプテン・遠藤航の決意…初めての世界大会で、育成年代の集大成となるメダルを | Push on! Mycar-life

【THE REAL】不動のキャプテン・遠藤航の決意…初めての世界大会で、育成年代の集大成となるメダルを

出場する選手に年齢制限が設けられている点で、男子サッカーはほかの夏季オリンピック競技と明らかに一線を画している。

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遠藤航 参考画像(2016年7月30日)
  • 遠藤航 参考画像(2016年7月30日)
  • 遠藤航 参考画像(2016年7月30日)
  • 羽田空港でサッカーU-23日本代表の壮行会が開催(2016年7月21日)
  • 遠藤航 参考画像(2016年1月13日)
  • 遠藤航 参考画像(2015年11月17日)
  • サッカーU-23日本代表の手倉森誠監督(左)と遠藤航(2016年1月30日)

出場する選手に年齢制限が設けられている点で、男子サッカーはほかの夏季オリンピック競技と明らかに一線を画している。

プロ選手の全面解禁を求める国際オリンピック委員会(IOC)と、ワールドカップの権威を守りたい国際サッカー連盟(FIFA)。両者の利害が平行線をたどるなかで、折衷案として1992年のバルセロナ大会から設定された年齢制限は次のように定義されている。

「オリンピックが開催される前年の12月31日時点で、23歳未満の選手」

自らの生年月日と規定とを照らしあわせたとき、1993年2月9日生まれの遠藤航はいわゆる「リオ世代」をけん引していく立場になると自覚する。そのうえで、リオデジャネイロ五輪をこう位置づけた。

「アンダー世代(年代別の日本代表)における集大成の場となる」

迎えたオリンピックイヤーは、激戦の連続だった1月のU‐23アジア選手権を勝ち抜き、6大会連続となるオリンピック切符に「23歳以下のアジア王者」の肩書を添えて幕を開ける。

J1の舞台においては、ユースから8年間も慣れ親しんだ湘南ベルマーレから、2年越しのラブコールを受けていた浦和レッズへ完全移籍。そして、ピッチを離れたところでも大きな変化が訪れる。

5月18日に産声をあげた第三子となる次男。夫人の愛実さんの妊娠が判明したときから、遠藤のなかで温められてきた名前に、2016年にかける熱い想いが凝縮されている。

最初から読み方だけは決めておいて、生まれたあとに長男の理玖(りく)くんに合わせて漢字「理将」が考えられた次男の名前は、ずばり「りお」と読む。

いうまでもなく、リオデジャネイロにちなんで命名したものだ。あえて「お」と読ませた「将」には「パパはキャプテンとして、リオで開催されたオリンピックを戦ったんだよ」と伝えたかったからだろうか。

【次ページ 「手応え」】

◆オリンピックにいく前に、A代表には入りたい

日本時間6日に開会式を迎えるリオデジャネイロ・オリンピックは、遠藤が初めて臨む世界大会となる。実はこれまでに2度、U‐20ワールドカップに通じる扉に手をかけたことがある。

最初は2010年10月。U‐19アジア選手権に臨んだU‐19日本代表にただ一人、17歳で選出されたベルマーレユース所属の遠藤は、チーム最年少ながらセンターバックのレギュラーとしてチームを支える。

迎えたU‐19韓国代表との準々決勝。勝てばU‐20ワールドカップ出場が決まる大一番で、幸先よく2点のリードを奪った日本は執拗なロングボール攻撃にさらされたあげく、悪夢の逆転負けを喫してしまう。

高校生ながらベルマーレの一員としてJ1の舞台にも立っていた遠藤は、日の丸を背負った戦いの厳しさを痛感させられる。試合後に敵将イ・グァンジョンが放った言葉も、17歳の胸に深く突き刺さった。

「相手のセンターバックの身長がそこまで大きくなかったので、逆転は可能だと思っていた」

翌2011シーズンからはトップチームへ昇格。178cm、75kgのサイズを補ってあまりある武器を手に入れるために、実戦のなかで1対1における強さ、カバーング能力、ビルドアップ能力を磨き上げた。

迎えた2012年11月。2度目のU‐19アジア選手権に臨んだ遠藤はキャプテンを拝命。前回に味わわされた悔しさを糧に、日本をU‐20ワールドカップへ導くために開催国UAEへ向かった。

◆A代表に向けて

しかし、結果はまたしても準々決勝敗退で4ヶ国に与えられるワールドカップ切符を逃す。スコアこそ1-2だったが、内容はU‐19イラク代表に終始圧倒される完敗に、遠藤はこんな言葉を残している。

「この大会を通じて、相手の球際の強さやフィジカルの強さ、勝利への執着心をあらためて痛感した。全員がクラブに戻ってから、この大会で得た経験を無駄にすることなく取り組んでいけなくてはいけない。絶対に無駄にしてはいけない」

短いコメントのなかに「無駄」という単語を2度も用いたところに、最後の年代別の世界大会となるリオデジャネイロ・オリンピックへ向けて、捲土重来を期す遠藤の熱い想いが伝わってくる。

晴れて出場権を手にして、リオデジャネイロでの戦いを終えれば、あとは年齢制限のないA代表における戦いが待つ。自らの成長曲線を鑑みながら、遠藤はこんな目標を新たに打ち立てていた。

「オリンピックにいく前に、A代表には入りたい」

この言葉を聞いたのはレッズから届いたオファーを断り、ベルマーレへの残留を決めた直後の2015年2月。中田英寿と呂比須ワグナーがエジプト代表との国際親善試合に臨んだ1998年10月を最後に、ベルマーレの所属選手がA代表でプレーしたことはなかった。

それでも遠藤は自身をベルマーレユースに誘ってくれた恩師でもある、曹貴裁監督の厳しくも温かい指導のもとで、可能性がどんどん膨らんでいく手応えを感じていた。

「J1で戦ったことのある選手がA代表でプレーし、ワールドカップのメンバーに入っている姿を見ていると、A代表という存在がだんだん近くなってきたというか、努力すれば手の届くところにあるんじゃないかと、自分のなかで思えるようになってきた」

【次ページ U-23アンカーに遠藤】

◆逆三角形型で組ませる「4‐3‐3」にトライ

ベルマーレではさまざまなポジションを務めた。3バックを基本とする最終ラインの真ん中では、左右のストッパーの背後をカバーする感覚やラインを上げ下げするタイミング、縦パスの正確性を身につけた。

曹監督から「3バックの真ん中ならばいつでもできる」というお墨付きを得て、さらに進化するために回った3バックの右では、1対1でボールを奪いきるアグレッシブな守備力と、攻撃参加へのタイミングを学び取った。

そして、ボランチとしては最終ラインの前で確実に相手のボールホルダーを潰す守備力と、ボールをもち運んで前線の選手と絡むセンスも磨き上げた。

守備のオールラウンダーへの階段をゆっくりと、確実にのぼっていた手応えがあったからか。遠藤は新たな目標を思い描くようになっていた。

「自分としては飛び抜けている部分を作りたくないというか、後ろでしっかりと守れて、ビルドアップもできて、ボランチでも、というオールマイティーの選手になりたい。将来は海外で、という思いもあるし、そのときはセンターバックでもボランチでもどこでもプレーできる選手になるために、平均値をあげる作業を積み重ねていきたい」

昨夏に中国・武漢で開催された東アジアカップに臨んだハリルジャパンに抜擢され、描いていた「オリンピックにいく前に、A代表には入りたい」という夢を実現させた。獲得したキャップは「7」を数えている。

今シーズンから移ったレッズでは、3バックの真ん中でレギュラーとして君臨。J1でも屈指の名門軍団のなかで、もう何年もプレーしているかのような貫禄と風格を漂わせている。

U‐23日本代表では不動のボランチを担ってきたが、リオデジャネイロ・オリンピックのグループリーグ初戦が行われるブラジル北部のマナウスに入ってから、手倉森誠監督は新しい布陣に取り組んでいる。

これまでは「4‐4‐2」あるいは「4‐2‐3‐1」で臨んできたが、中盤を3人にしたうえで、逆三角形型で組ませる「4‐3‐3」にトライ。頂点の位置、いわゆるアンカーには守備力に長けた遠藤が配置されている。

そして、ボールを奪ったあとは遠藤が最終ラインにさがり、左右のサイドバックを高い位置に押し上げて攻撃参加させる「3‐4‐3」にシフトする。ここで遠藤は攻撃の起点として、得意のロングパスを狙う。

【次ページ 左腕にキャプテンマーク、遠藤が先頭で入場する瞬間を見逃すな】

◆「リオ世代」で群を抜くキャプテンシー

オーバーエイジ枠で招集され、ワントップを務めることが濃厚なレッズのチームメイト、FW興梠慎三とはJ1の戦いを通じてホットラインを開通させていると遠藤は自信をのぞかせている。

「縦パスのタイミングがすごくあうし、動き出しもすごく上手いので。僕としてはすごくやりやすさを感じている。意外といったら変ですけど、(興梠)慎三さんのほうから『あの選手の特徴はどうなの』と、いろいろと気にして聞いてくる。僕もわかることはすべて話しているので、そういう作業はチームにとって間違いなくポジティブなことだと思っています」

守備力とパスの精度を含めた攻撃力。ベルマーレおよびレッズの日々で自問自答しながら取り組み、その体に搭載してきた武器が、手倉森ジャパンの変幻自在な戦い方を可能にさせたことになる。

日本時間の5日午前10時、アマゾニアスタジアムでキックオフを迎えるナイジェリア五輪代表とのグループリーグ戦で、左腕にキャプテンマークを巻いた遠藤は先頭で入場してくる。

手倉森監督をして「余人をもって代えがたい」と言わしめるほど、「リオ世代」で群を抜くキャプテンシーを発揮してきた遠藤は、ベルマーレ時代にも19歳にしてキャプテンを拝命している。実はキャプテンという肩書にこだわりがあると、屈託なく笑う。

「昔から『キャプテンをやりたい』という思いがあって、そのままいま現在に至っているというか。キャプテンをやらせてもらうことが、試合に対する自分のモチベーションになっているので。アンダー世代(世代別の代表)で培ってきたものをすべて出し切って、最後はメダルを獲って終わりたい」

試合前日になっても、ナイジェリアがキャンプ地アメリカにとどまる異常事態がぼっ発。日本の不戦勝になるのでは、という憶測も飛び交うなかで、遠藤はその一挙手一投足からかもしだされる牧歌的かつ泰然自若としたオーラでチームに安心感と平常心を与えながら、勝利につながるメンタルを整えていく。

《藤江直人》
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