【THE REAL】正念場で響くベテラン佐藤勇人の金言…名門ジェフ千葉をもう一度J1の舞台へ導くために | Push on! Mycar-life

【THE REAL】正念場で響くベテラン佐藤勇人の金言…名門ジェフ千葉をもう一度J1の舞台へ導くために

7シーズンで8人目。アマチュアだった日本リーグの名門として君臨した前身の古河電工時代を含めて、初めて2部リーグに降格した2010シーズン以降でジェフユナイテッド千葉を率いた監督の数だ。

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佐藤勇人 ジェフユナイテッド千葉HPより
  • 佐藤勇人 ジェフユナイテッド千葉HPより
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7シーズンで8人目。アマチュアだった日本リーグの名門として君臨した前身の古河電工時代を含めて、初めて2部リーグに降格した2010シーズン以降でジェフユナイテッド千葉を率いた監督の数だ。

1試合だけ指揮を執った斉藤和夫監督代行を含めたものだが、指揮官が代われば、戦術や理念を含めたチームへのアプローチもその都度変わる。シーズンを上回る監督数は、それだけジェフが迷走してきたことを物語る。

そして、指揮官交代は今シーズンも繰り返された。2014年7月から指揮を執ってきた、ロンドン五輪代表監督の関塚隆氏が7月25日をもって解任。長谷部茂利ヘッドコーチが昇格した。

もっとも、監督職こそ解かれたものの、関塚氏自身とジェフ側との契約は残っている。ゆえに、トップチームを初めて率いる45歳の長谷部氏の肩書は「監督代行」となっている。

どこか釈然としない状況で迎えた、新体制における出直しの一戦。7月31日に敵地ニッパツ三ツ沢球技場で行われた横浜FC戦で、ジェフは1‐2の逆転負けを喫した。

前半16分にセットプレーからFW船山貴之の2試合連続ゴールで先制。幸先のいいスタートを切ったが、同28分に不運なPKを与えて追いつかれ、10分後にはボランチ・佐藤謙介に逆転ゴールを許した。

左サイドを駆けあがってきたMF野崎陽介が、クサビのパスを左タッチライン際へダイレクトで落とす。このとき、ボールを受けた190cmの巨漢FWイパへのプレッシャーは極めて緩かった。

至近距離にいたMF長澤和樹は、イパの背後を攻めあがってきた左サイドバック・田所諒に気を取られてしまった。右サイドバック・丹羽竜平も一瞬だけ田所の動きにつられ、イパとの間合い詰めきれない。

自由を与えられたイパは、キープしながら佐藤が駆けあがってくる時間を稼ぐ。ゴール前を向き、利き足の左足から送ったパスが通った瞬間、佐藤をマークするジェフの選手は誰一人としていなかった。

慌ててポジションをさげてイパから佐藤へのパスコースに右足を伸ばすも、わずかに届かなかったボランチの山本真希が失点シーンを振り返る。

「サイドで上手く起点を作られたけど、こっちも人数がそろっていたので、そこでボールを取り切らなければいけなかった」

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■チーム最年長の34歳、ボランチ・佐藤勇人

新体制で横浜FC戦へ向けて調整を積んだ4日間。3‐4で敗れた前節の清水エスパルス戦まで、8試合連続で実に合計15失点を喫していたことを受けて、長谷部監督代行は守備の再構築から着手した。

「チーム全体が少し引き気味になってしまったところが、私の反省点です。守備の意識は非常に高かった。つまり、意識が高いから引きすぎたと受け止めています」

チーム全体が引きすぎれば、その分、相手へスペースを与えてしまう。味方の人数が足りているという安心感が「誰かが行ってくれる」という慢心に近い思いを生み、相手へのプレッシャーを甘くしてしまう。

守らなきゃという思いが強すぎたあまりに、ペナルティーエリア付近まで相手のボランチ佐藤が攻め上がることを許し、ほぼフリーの状態から利き足とは逆の左足から強烈なシュートを決められてしまった。

後半こそ前目に比重を置き、決定的な場面も作ったが、ゴールは遠かった。3戦連続で勝ち星なし。直近の9試合で1勝3分け5敗という泥沼にも、チーム最年長の34歳、ボランチ・佐藤勇人は努めて前を向く。

「守備の意識づけのところが強すぎたというところでは、自分もそうだったと思う。それでも守備は絶対に大事だし、続けていかなきゃいけない。失点をゼロに抑えられれば負けることはないし、少しずつだけど得点も取れてきている状態なので。(中盤の)守備は自分の特徴でもあるし、前へアプローチしていく部分も含めて、自分のなかでもっと整理してやっていきたい」

二卵性双生児の弟・寿人とともに、佐藤は2000シーズンにジェフ市原(当時)のユースから昇格。サンフレッチェ広島の森崎和幸・浩司とともに、史上初の双子Jリーガーとして話題を集めた。

寿人は出場機会を求めてセレッソ大阪、ベガルタ仙台、いま現在のサンフレッチェと移籍を繰り返した。対照的に勇人は、ジュニアユースから心技体を磨いたジェフでのプレーにこだわった。

のちに日本代表監督を務める、イビチャ・オシム氏に率いられた黄金時代も経験。2003シーズンはJ1で年間総合3位に入り、2005シーズンにはチームの初タイトルとなるナビスコカップを制した。

2008シーズンから2年間は京都サンガでプレー。キャプテンも務めたが、2009シーズンの終盤戦でジェフが敗れ、J2降格が決まる瞬間をテレビ越しに見た瞬間に、心が揺らぐのを抑えきれなかった。

2年間とはいえ、ジェフを離れていたからこそ、古巣への熱い想いが募る。2010シーズンからジェフへ出戻るかたちで移籍。自身にとって初めてとなるJ2の舞台を戦いながら、J1復帰を目指してきた。

8人もの指揮官が指揮を執った2010シーズン以降の混乱期を経験してきた選手は、勇人のほかには控えキーパーの岡本昌弘しかいない。このオフには24人もの選手が退団し、歴史の担い手が激減した。

代わりに20人の選手が、ジェフのユニフォームに袖を通した。これほどの大幅な血の入れ替えは、Jリーグの歴史上でも極めて稀有だ。3シーズン目の関塚前監督は、必然的にゼロからのチーム作りを強いられた。

解任の引き金となったエスパルス戦終了時で8勝9分け8敗の9位。J1へ自動昇格できる2位・松本山雅FCとの勝ち点差は「25」に、J1昇格プレーオフ進出圏内の6位・エスパルスとのそれも「8」に開いた。

まもなくシーズンの3分の2を迎える。前田英之社長と高橋悠太GMは残り試合を考えたギリギリのタイミングと説明したが、果たして監督の交代ですべてが好転するのだろうか。

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■何かを起こしていくこと

J1昇格への扉に、手をかけたシーズンもあった。5位でJ1昇格プレーオフに臨み、決勝に進んだ2012シーズン。大分トリニータ相手にあと4分を守りきれば、という場面で悪夢の先制ゴールを奪われた。

トリニータのリーグ戦順位は6位。規定により引き分けでもジェフのJ1昇格が決まったが、一瞬の隙を突かれてすべてが夢に終わった。実は決勝直前に、常軌を逸した事態が発生していた。

一部スポーツ紙が、ジェフの次期監督候補として関塚氏が浮上したとスクープした。チームは木山隆之監督(現愛媛FC監督)のもとで、トリニータ戦へ向けて集中力を高めている最中だった。

「いくら情報化社会といっても、何とか(記事を押さえようと)努力してくれるのが普通なんですけど。いまのチームに対してリスペクトも何ないことに、むしょうに腹が立つし、許せないんです」

シーズンを終えた後にこうまくし立てたDF山口智(現ガンバ大阪強化スタッフ)は、フロントを含めた運営法人ジェフユナイテッド株式会社のスタンスにも疑問を呈している。

「会社からなめられていると言ったら言葉が悪いかもしれないけど、これだけの選手を揃えたから(J1に昇格するのは)当たり前だろうというのがどうしてもあった。結果を出せなかった以上はもちろん選手が責任を持つし、実際に僕たち選手のせいなんですけど。ジェフが強かった時期、オシムさんの頃をいまもちょっと引きずっているというか、理想と現実を変に……それは絶対にあると思う」

当時34歳だった山口は、ユースから自身を育ててくれたジェフの未来を人一倍思うからこそ、感じたことをすべて社長に訴えた。そのうえで、こんな覚悟も口にしていた。

「何か行動を起こして何かがクラブの中に起これば、それがいいことでも悪いことでも、新しい何かが展開していくと思うので、それだけは続けていこうと。結果として嫌われて、『もういらない』と言われれば仕方のないこと。ぬるま湯につかりながら、選手生活を終えることだけは嫌なので」

山口は2014シーズンまでジェフでプレーし、最終ラインを支え続けた。ジェフはJ1昇格プレーオフにこそコマを進めたが、悲願を果たせないままJ2在籍年数を重ねていく。

9位に低迷して、J1昇格プレーオフにすら進めなかった昨シーズン。オフに行われた、無計画にも映る大量の選手の入れ替え。そして、2010シーズン以降で3度となる、シーズン途中での指揮官交代も断行された。

かつて山口を怒らせたのは、フロントや会社が同じベクトル、同じ責任感を共有して戦うことができていなかったからだ。そして、悪しきチーム体質は、いま現在も変わっていないといわざるを得ない。

高橋GMは長谷部監督代行に勝ち点「27」の上積みを期待している。残りは16試合。初陣を落としたいま、順位こそ9位で変わらないが、6位のサンガとの差は「10」にまで開いた。

白星の数よりも黒星の数が初めて先行してしまったいま、チーム内には自信を失い気味の選手がいても不思議ではない。勇人も「そういう選手はいると思う」と認めたうえで、決意を新たにしている。

「そういうときは、自分からいろいろと話します。監督が代わった責任は、もちろん選手にある。ただ監督が代わったことは、自分たちのチャンスがもう一度訪れたというか。まだまだ試合も残っているし、昇格へ向けてもう一度やり直していける。その意味では、自信を失っている時間がもったいないので。自信を失っている暇があれば、ミーティングや選手同士でいろいろ話して練習に取り組む。そういう細かいところを積み重ねて、試合に挑む準備をしていくほうがいいと思うので」

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■自信を失っている時間がもったいない

けがやコンディション不良などもあって、勇人自身もエスパルス戦で初先発を果たしたばかりだった。そのときには「サッカー人生で最後の試合のつもりでやる」と、不退転の意気込みでキックオフを迎えた。

だからこそ、エスパルス、そして横浜FCに喫した連敗が悔しくないはずがない。そして、まさに息つくまもなく、7日には愛媛FCをホームのフクダ電子アリーナに迎える。

「今回の監督交代に対する責任をもちながら、いい方向へもっていけるように。次の試合までにできることは、本当に最低限のことしかない。監督の指示を聞いたうえで、守備だけでなく攻撃でもみんなでイメージを共有しながら、選手同士であれこれ要求しあっていきたい」

勇人自身も忸怩たる思いを抱えているだろう。それでも、キックオフの笛が鳴れば、サッカーの結果のほとんどは、ピッチでプレーする選手たちの一挙手一投足、瞬間的なひらめきやアイデア、そして責任感にゆだねられる。

だからこそ、勇人は「自信を失っている時間がもったいない」と、メディアを介して強烈なメッセージを発信したのだろう。名門チームを再びJ1の舞台で戦わせるために。栄光と苦難の両方の時代を知る勇人を中心に、ジェフは何度殴られてもファイティングポーズを取りつづける。

《藤江直人》
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