【THE REAL】ロアッソ熊本・巻誠一郎は走り続ける…大地震を乗り越え、被災地に笑顔を届けるために | Push on! Mycar-life

【THE REAL】ロアッソ熊本・巻誠一郎は走り続ける…大地震を乗り越え、被災地に笑顔を届けるために

思いもしない理由で、質疑応答が一時中断となった。試合後の取材エリア。最後に姿を現したロアッソ熊本のFW巻誠一郎の鼻から、血が滴り落ちたためだった。

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巻誠一郎 参考画像(2014年2月21日)

思いもしない理由で、質疑応答が一時中断となった。試合後の取材エリア。最後に姿を現したロアッソ熊本のFW巻誠一郎の鼻から、血が滴り落ちたためだった。

取材が始まってから、およそ4分30秒過ぎのこと。驚いたメディアのひとりからハンカチを差し出された巻は、「大丈夫です」とその後も約5分間、何ごともなかったかのように対応を続けた。

■走り続けなければいけない理由があった

おそらくは前半29分。自軍のゴールキックをジェフユナイテッド千葉のMF長澤和輝と空中で競り合った際に、長澤の右ヒジがまともに巻の左顔面へ入った接触プレーの後遺症だったのだろう。

センターサークル内にうずくまった巻は、あまりの痛みに横たわってしまった。すぐに試合は中断され、医療スタッフが駆けつける。応急措置を受けた巻は雄々しく立ち上がり、プレー続行OKを示した。

例え鼻骨が折れていようが、激痛に襲われ続けようが、歯を食いしばって走り続けなければいけない理由が巻にはあった。

「特に後半は本当に苦しくて、何度も足が止まりそうになったし、何度もあきらめそうになったし、何度もゴールへ向かうのをやめようかと思いましたけど、そういった状況で僕を含めた選手全員が思い浮かべたのは、熊本でいまだに苦しい思いされている方々の顔や思いでした。それらに比べたら、僕らがキツいことなんて本当に小さなこと。そういう思いが僕らの足を最後まで動かしてくれたと思うし、ゴールへ向かわせてくれたと思うし、ボールに最後まで執着してあきらめなかった部分につながったと思います」

■熊本地震が発生

生まれ故郷が「平成28年熊本地震」に襲われたのは4月14日。翌日こそ練習を行ったロアッソだったが、16日未明に本震が発生したことを受けて、所属する29選手のうち19人が県外へ避難する事態に直面した。

17日に敵地で行われる予定だった京都サンガ戦を含めて、5試合が中止・延期となった。全体練習が再開されたのは5月2日。練習試合を組めたのはわずか一度。ひとり当たり45分間プレーしただけだった。

いわば後半は未知の領域であり、巻をして「本当に苦しくて」と言わしめた。試合勘が欠け、フィジカルコンディションもキャンプ序盤のそれに落ちた。それでも、絶対に下を向くわけにはいかなった。

ロアッソのリーグ戦復帰が5月15日のジェフ戦になると決まったのは、「本震」に襲われてから5日後の4月21日だった。場所は慣れ親しんだフクダ電子アリーナ。巻は運命的な縁を感じずにはいられなかった。

熊本を「前震」が襲ってから約1カ月後。何よりも対戦相手のジェフは、駒澤大学から2003シーズンに加入して7年半、巻が心血のすべてを注ぎ込んできた愛着の深いクラブだった。

「千葉というクラブは本当に僕にとっては特別なクラブですし、僕のサッカーの原点。サッカー選手として育ててくれたのも本当に千葉のサポーターであり、このクラブだと思っている。そのクラブと再開の場で対戦できるということは、僕にとっては本当に特別な日でした」

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■ジェフユナイテッドへの想い

いかに巻がジェフを愛していたかを、物語るエピソードがある。ジェフから事実上の戦力外を通告され、ロシアのアムカル・ペルミへ完全移籍を決意した2010年7月。巻は退団会見で涙ながらにこう語った。

「笑われるかもしれないが、このクラブ(ジェフ)は僕にとってマンU(マンチェスター・ユナイテッド)やバルセロナと同じ価値がある。また戻ってこられるように頑張りたい」

いまもリスペクトの念を抱くジェフ関係者やサポーターからは、地震からほどなくして14トンもの救援物資が送られてきた。復興への第一歩を記す一戦は、巻にとって恩返しとなる90分間でもあった。

スタメン発表で巻の名前がコールされると、ジェフサポーターで埋まったゴール裏から大きな拍手が沸き上がった。顔面を強打してうずくまっている間には、「マキコール」がスタジアム内に響いた。

試合は0‐2で負けた。運動量が落ちた後半に入って後手に回り始め、11分に先制を許した。それでも何とか踏ん張っていたが、29分にまさかの展開からダメ押しとなる2点目を喫してしまう。

味方からのパックパスを受けたゴールキーパーの畑実が、前方へフィードした直後だった。間合いを詰めてきたジェフのMF町田也真人にチャージされ、こぼれ球を押し込まれた。

厳しい言い方をすれば、チーム全体の士気を下げるボーンヘッド。畑も試合後に「町田が来ていることはわかっていたけど、判断が遅くなって試合を壊してしまった」と下を向きかけたと打ち明けている。

直後に巻の檄が飛んだ。選手たちを自陣の中央に集め、畑の肩を叩きながらこんな言葉を発している。

「下を向くな。オレらが助けるから。取り返せばいいんだ。前を向いてやろう」

後半25分にベンチに下がったMF岡本賢明に代わり、左腕にキャプテンマークを巻いていた巻が失点直後に抱いた偽らざる思いを明かす。

「畑は自分の家もなくなって、ずっと避難所で生活していて、誰よりも精神的にも肉体的にもすごく難しい準備のなかで、このゲームに挑んでいたのを僕ら選手は全員がわかっていたので。その畑が下を向くというのは、チーム全体が下を向くのと一緒。みんなそういう思いでしたし、試合中も試合が終わってからも誰も畑を責めていないし、何度も彼がゴールを守り、僕らを救ってくれた。そういう思いはみんなで共有できていたし、支え合いながら、助け合いながらプレーできたと思います」

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■大地震を乗り越えて

ジェフ戦を間近に控えたチームには、インフルエンザが蔓延しかけていた。レギュラーキーパーの佐藤昭大も罹患して、戦列を離れたひとり。畑が先発を告げられたのはジェフ戦前日。約1年ぶりの出場がスクランブル発進となっていた。

畑は最も被害の大きかった益城町の出身。自宅だけでなく実家も住めない状態となり、被災直後はテントおよび車中泊を余儀なくされた。当時の心境をこう振り返っている。

「サッカーをする、しないという話ではなく、毎日を生きることで精いっぱい。サッカーのことを考えられなかった」

その守護神が、チームがどんな困難に直面しても、乗り越えて前進していくことが被災地へのメッセージとなる。負けたことは確かに悔しい。それでも、勝敗を超越した次元で、ロアッソの選手たちは戦い続けた。

試合終了後のひとコマ。本来ならば自軍のサポーターへ勝利を報告するはずのジェフの選手たちが、ロアッソの選手たちに続いてロアッソサポーターが陣取るゴール裏へ向かって挨拶した。

続いてロアッソの選手たちが、「がんばろう九州・熊本 熊本とともに。絆 180万馬力」と記された横断幕を掲げて場内を一周する。「クマモトコール」が降り注ぐなかで、選手の多くが目頭を押さえていた。

決壊寸前の涙腺を必死にこらえていた巻が、チーム全員の思いを代弁する。

「みんな避難所を回ったり、いろいろな救援物資を届けたり、炊き出しをやったり、子どもたちとサッカーをやったりして、熊本の現状というものを心のなかに刻んでいたと思うんですね。そういうなかで、試合後にあれだけ相手のサポーターから声援をもらって、エールをもらって…いろいろな思いがああいう形になったと思います。復興へ向けて、そして自分たちのクラブの未来へ向けて、(声援や拍手は)勇気に変わったと思っています」

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■熊本のために

車中泊を含めて避難生活を強いられた巻自身、誰よりも早く復興へ向けて動き出していた。例えば津波注意報が発令された深夜には、避難する乗用車の列を自ら路上に立って安全な場所に誘導した。

復興支援のための募金サイト『YOUR ACTION KUMAMOTO』をすぐに立ち上げ、救援物資をまず福岡県内に集約させたうえで、まとめて熊本県内へ送るシステムも確立させた。

県内を車で回り、避難所ごとに不足している救援物資を届け、時間を見つけては子どもたちとサッカーボールを追いかけた。輝きを取り戻した子どもたちの笑顔が、被災地の希望になった。

全体練習が再開された後は、基本的に午前中にジェフ戦へ向けて汗を流し、午後はチームメイトたちと避難所を回り続けた。ジェフ戦前日も然り。足を運んだ避難所の数は50ヶ所を超えた。

支援の声を訴えてきたFacebookの公式ページに、ジェフ戦前日に思いの丈をつづった。一部を抜粋する。

 地震の直後は、サッカーのことは考えられませんでした。
 でも地震の後、僕たちを支えてくれたのもサッカーでした。
 全国のサッカーファミリーから沢山の物資やメッセージをもらいました!
 サッカーを通して子供たちがえがおになりました!
 サッカーの話で避難所のみんなと繋がることができました!
 本当にサッカーをやってて良かったと心から思いました。
 今度は僕らがサッカーを通して、熊本のみんなに勇気や希望を与える番です!
 今度は全国のみなさんにサッカーを通じて、熊本は地震なんかに負けないって、
 前に進んでいるんだってメッセージを届ける番です!
 (原文ママ)

終了直後のテレビインタビューでは涙した巻だったが、試合後の取材エリアでは努めて胸を張り続けた。両方の目は真っ赤に腫れている。ちょっとでも下を向けば、こらえているものがこぼれ落ちたからだろう。

■復興へ向けて

復興への第一歩を踏み出した日に、涙はふさわしくない。これから先、さらに厳しい現実が待っているからこそ前を向く。鼻血を流しながら、それでも気丈に話し続ける巻の姿には胸を打たれるものがあった。

「正直、勝ち点3を、勝ち点1でも熊本の皆さんに届けたかったですし、1ゴールでも、1本でも多くのシュートを打ちたかったという思いはあります。いまも無力感や悔しさ、いろいろな思いがありますけど、全員が最後までゴールを目指して足を動かしたし、勝利を目指して戦い抜いたし、どんなに足がつっても、どんなに苦しくても最後まで前へ進み続けた。その意味では胸を張って一度熊本へ帰って、もう一度いい準備をして、次の試合に挑みたい」

支援物資の集約拠点となっている、ホームのうまかな・よかなスタジアムで試合を再開できるめどは立っていない。ホームで行われる予定だった22日の水戸ホーリーホック戦は、J1の柏レイソルの協力のもと、日立柏サッカー場を代替地として開催される。

延期となった5試合はやがて、梅雨の時期以降の過密日程となってロアッソに試練を与える。それでも、被災地の人たちの苦しみに比べれば些細なこと。自分たちが頑張る姿が希望となるのならば――そう考えるだけで、新たなエネルギーがわきあがってくる。ジェフ戦後も巻の復興支援活動は続いている。

2006年のワールドカップ・ドイツ大会。本命視されたFW久保竜彦(当時横浜F・マリノス)ではなく、当時25歳の巻をサプライズ招集したジーコ監督は、その理由をこう語っていた。

「彼は人のために走れる男だ」

自己犠牲の精神、献身的な姿勢が日本代表にとってプラスとなると神様は説いた。あれから10年。8月には36歳になる巻の内面に脈打つ熱き想いは、いまも変わらない。その大きな背中が、魂を感じさせる一挙手一投足がロアッソをけん引し、熊本復興への象徴となる。

《藤江直人》
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