【THE SPIKE】DeNA・山崎康晃、屈辱を糧に…「小さな大魔神」から「侍のクローザー」へ | Push on! Mycar-life

【THE SPIKE】DeNA・山崎康晃、屈辱を糧に…「小さな大魔神」から「侍のクローザー」へ

昨シーズン、新人最多セーブ記録を更新し、華々しいデビューを飾ったDeNA横浜ベイスターズの山崎康晃投手。プロ入り1年目にして、日本球界を代表するクローザーのひとりに登りつめた。2年目はクローザーとしていかなる進化を見せてくれるのだろうか。

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横浜DeNAベイスターズの山崎康晃投手 参考画像
  • 横浜DeNAベイスターズの山崎康晃投手 参考画像
  • 山崎康晃 参考画像(2015年11月21日)

昨シーズン、新人最多セーブ記録を更新し、華々しいデビューを飾ったDeNA横浜ベイスターズの山崎康晃投手。プロ入り1年目にして、日本球界を代表するクローザーのひとりに登りつめた。2年目はクローザーとしていかなる進化を見せてくれるのだろうか。

■愛称は「小さな大魔神」

往年の横浜大洋ホエールズ、横浜ベイスターズファンにとって、そして日本の野球ファンにとって、クローザーで真っ先に思い浮かぶのが、“大魔神”の愛称で親しまれた佐々木主浩ではないだろうか。

幾多の強打者に「消える」と言わしめた空前絶後のフォークボールは、これ以上にないウイニングショットとして長年にわたり打者を震撼させた。打者のバットは面白いように空を斬り、佐々木がマウンドへ向かうと相手チームは半ばあきらめムード。その時点で試合が終わったという感覚すら覚えた。

そして、その佐々木の異名“大魔神”を受け継ぐ男が山崎だ。身長190cm、体重90kgだった佐々木と比べると、山崎は身長177cmと小柄で“小さな大魔神”と呼ばれる。佐々木の残像が今もなお脳裏に刻まれているだろう横浜のファンが、それだけ山崎に期待をかけている証だろう。

■新人最多セーブ記録を樹立

2014年のドラフト1位ルーキーとして、2015年オープン戦から即戦力として期待されていた。前年のクローザーだった三上朋也投手のケガにより、開幕前に首脳陣からクローザーに指名された。

すると驚異的なペースでセーブを記録し、前半戦を首位で折り返したチームを牽引した。5月8日の巨人戦でプロ野球新人記録となる9試合連続セーブを記録すると、5月27日のオリックス戦ではプロ野球新人最多記録となる月間10セーブを記録。

そして迎えた8月20日のヤクルト戦で、見事に新人最多記録となる32セーブ目を挙げた(最終的に37セーブを記録)。

■縦に落ちるツーシームで打者を翻弄

大魔神・佐々木にフォークがあれば、小さな大魔神・山崎には独特のツーシームがある。

まぎれもなくツーシームの存在が驚異的な快投を支えた。通常のツーシームは途中までストレートと同じ軌道で、打者の手前でシュート気味に変化する。しかし山崎の投じるツーシームは、縦に鋭くシンカーのように沈んでいく。この希な球の軌道に打者は困惑した。

また、山崎は三塁側に踏み込んでいくインステップの投球フォームが特長だが、その場合にはボールの出どころが打者から見づらいという利点がある。落差のあるツーシームと独特の投球フォームが唯一無二の武器となっている。

■「康晃ジャンプ&コール」がハマスタ名物に

プロ入り1年目から山崎はファンの心をつかんだ。その象徴が「康晃ジャンプ&コール」だ。山崎の名がコールされると本拠地の横浜スタジアムにZombie Nationの楽曲『Kernkraft 400』が流れ、ハマスタは一瞬にしてライブ会場と化す。

球場に詰めかけたファンが総立ちして曲に合わせてジャンプを開始。「ヤッ!スッ!アッ!キッ!」と連呼し、野球場とは思えない異様なテンションで盛り上がる。

山崎自身も球場が一体となった応援をモチベーションにしている。

「ジャンプで貧血や酸欠になっても責任は負いません」と、盛り上がり過ぎに注意と自ら呼びかける。

山崎がNBAの会場の雰囲気や応援に憧れていたことが、この応援の発端とされている。ジャンプといえば、元北海道日本ハムファイターズの稲葉篤紀がスコアリングポジションに走者を置いて打席を迎えた際に始まる「稲葉ジャンプ」が有名だ。札幌ドームのファンが一体となる応援に、稲葉は「野球選手冥利に尽きる」と語っていた。山崎が入団1年目から快進撃を続け、ファンの心をがっちりとつかんだ証しではないだろうか。

実際、ファンサービスへの協力は惜しまず、自身の好不調とは関係なく、いつでも笑顔を絶やさず、一人ひとりに丁寧にサインを書く。そんな山崎の日頃からの姿をファンは知っている。

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■世界の舞台でもクローザーに

山崎は昨秋に行われた第1回WBSC世界野球プレミア12の日本代表メンバーに名を連ねた。1次ラウンドでは、第3回ワールド・ベースボール・クラシックで優勝したドミニカ共和国戦の8回に登板。大会初登板でありトップチームでの初マウンドとなったが、ツーシームを要所で決めて三者凡退に抑えた。

しかし、この大会で最後を任されていたのは楽天の松井裕樹投手。山崎を含めてクローザー候補は巨人の澤村拓一投手、日本ハムの増井浩俊投手と招集されていたが、山崎と澤村はチームの窮地にマウンドに立つことができなかった。山崎は肝心な時に名前を呼ばれなかった悔しさを糧に、2015年シーズン後のオフを過ごしてきたという。
プレミア12後、第4回ワールド・ベースボール・クラシックでの世界一奪還に向け、侍ジャパンの投手コーチには小久保裕紀監督から直々の指名を受け、百戦錬磨の権藤博氏と日米の舞台で活躍した斎藤隆氏が就任した。横浜ベイスターズが1998年に38年ぶりの優勝を果たした時の監督とエースでもあり、この時のクローザーが佐々木だった。

権藤氏には「一番優れた投手を一番最後にもってくる」という信念があり、現在もそう公言している。そんな権藤氏の口から出る名前は、日本ハムの大谷翔平投手や巨人の菅野智之投手、阪神の藤浪晋太郎投手といずれも先発投手である。権藤氏の言う「一番優れた投手」というハードルは高いが、山崎にはクローザーとしてのプライドがあるだろう。

「小さな大魔神」から「侍のクローザー」へ。世界の舞台で康晃ジャンプ&コールが鳴り響く光景をぜひ実現してもらいたい。

《浜田哲男》
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