【リオ2016】弊媒体「CYCLE」がメディアとして認められた背景 | Push on! Mycar-life

【リオ2016】弊媒体「CYCLE」がメディアとして認められた背景

リオ五輪がまもなく開幕する。弊媒体も初めて、オリンピック取材を敢行している。ここに来るまでには紆余曲折があった。

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【リオ2016】弊媒体「CYCLE」がメディアとして認められた背景
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  • リオデジャネイロ五輪公式グッズショップ『Megastore Rio 2016』(2016年8月3日)
  • リオデジャネイロ五輪公式グッズショップ『Megastore Rio 2016』(2016年8月3日)
  • リオデジャネイロ五輪公式グッズショップ『Megastore Rio 2016』(2016年8月3日)
  • リオデジャネイロ五輪公式グッズショップ『Megastore Rio 2016』(2016年8月3日)
  • リオデジャネイロ五輪公式グッズショップ『Megastore Rio 2016』(2016年8月3日)
  • リオデジャネイロ五輪公式グッズショップ『Megastore Rio 2016』(2016年8月3日)

リオ五輪がまもなく開幕する。弊媒体も初めて、オリンピック取材を敢行している。ここに来るまでには紆余曲折があった。

まず、以前もお伝えした通り、webメディアには取材の規制が厳しく存在する。業界にもよろうが、スポーツ関連でいくと、メディアが主催しているイベントも多い。

例えば夏の甲子園、春の甲子園、東京マラソン、高校サッカーなど。大規模なスポーツイベントでは、主催側にメディアの資本が入っていることが多く、中立なスポーツジャーナリズムというものはなかなか存在することは難しい。

これに関しては、日本国内でもっとも価値のあるスポーツコンテンツ、プロ野球の成り立ちが新聞社のベースにあることも大きく影響しているだろう。

歴史的にもメディアとの連動でスポーツ文化が醸成されていることは事実であり、メディアとともに文化が育まれること自体は自然。むしろメディアとスポーツのタッグは当然の帰着でもある。権利の関係もあり、メディアが投資をしながらブランドを育てることもビジネス的には当然だ。問題は、次の時代や新たな参入を拒むかのごとき垣根が存在することだ。

弊媒体は、webでしかアウトプットの面がない。いまやそうした媒体は多数存在する。そして紙媒体がないと取材許可が下りないという事態が多数存在する。紙媒体があることすなわち、運営企業の資本力見極め、媒体の歴史、品質などの大まかな見極めになっているのだろうか。その判断基準は、媒体サイドからは見えないが、紙媒体がないと取材NG、web専業はNG、という事態に対面することが多い。

東京マラソンなどは、弊媒体を時間とともに受け入れていただいた。1年目は写真撮影の範囲が極めて限定的だったところ、1年目の実績を経て、2年目は柔軟に写真撮影が行える環境を作っていただいた。信頼や実績は数年ではなかなか作れない。日々の積み重ねが、小さな信頼の構築につながった好例であるし、同じような形で取り組むほか、web専業媒体の進む道はない。

翻ってオリンピック取材。弊媒体は2015年を起点にニュース媒体として本腰を入れた媒体であり、当然五輪取材は初めてとなる。そのため、勝手が全く分からず、まずはとにかくオフィシャルのメディア登録を行った。

取材には膨大なコストがかかる。それでも、スポーツ分野に立脚するweb媒体として、東京五輪を前に、リオ五輪というコンテンツをいかに用意していくかは、大きな価値をもたらすはずだ。

リオの公式メディア登録は完了したものの、日本国内で、これまで様々な場面でweb専業媒体NGを受けた経験から、取材班は「登録したはいいものの、現地に行ってみないと正式に取材許可がおりるかわからない」という疑心暗鬼があった。そのため、取材許可が正式に降りた場合と、取材許可が現地で下りない場合、というパターンも含めて検討を重ねた。

航空券は経費削減のため、成田ー香港ーバンクーバーーニューヨークーサンパウローリオ、という非常に過酷な乗り換え。搭乗時間だけで合計30時間。それでも、この航空券でいくことで、なんとか経費を抑えて取材を敢行することを選択した。30時間のなか、リオで取材許可がおりるのか、今回の取材が成立するのか、という一抹の不安を常に抱える移動となった。

果たして、リオに到着し、リオメディアセンターにて媒体として、取材許可が正式におりた。この時の充実は、なにものにも代え難いものだった。外から見れば、日本の名の知れぬ、小さな小さなwebでしかアウトプットがないメディアである。そのメディアを、媒体として受け入れてもらえたという事実。2016年8月3日、弊媒体にとってこのことは、マイルストーンになった。

振り返るに、国によって工業製品の普及タイミングは違う。日本では当然のように、三種の神器や車、固定電話、デスクトップ、ガラケー、スマホ、というような順を踏んでいるが、ブラジルのような新興国はこの限りではない。つまり、スマホが一気に広がった結果、webメディアの市民権も日本とは大きく異なるのではなかろうか。

したがって、情報伝達における、紙とwebの間にある垣根は、日本ほど高くないのではないか。これは工業製品の浸透の順番と関連しているように思える。「思える」という推測でしか現段階では表現できないことをお詫びしたい。

メディアは金にならない。

そんななか、テレビや新聞が歴史を超えて、山あり谷あり乗り越えて、存在し続けていることの偉大さは、計り知れない。もし、弊媒体が東京五輪まで続くことがあれば、2016年8月3日のリオでの出来事は、大きな喜びと、緊張と、責任感を得られた、重要な出来事として振り返ることになるだろう。

《編集部》
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