【THE REAL】浦和レッズ・柏木陽介が際立たせる華麗さと泥臭さ…「走るファンタジスタ」の現在位置 | Push on! Mycar-life

【THE REAL】浦和レッズ・柏木陽介が際立たせる華麗さと泥臭さ…「走るファンタジスタ」の現在位置

ちょっぴり早口で、それでいてポツリと漏らした言葉に、感謝の思いを凝縮させていた。

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柏木陽介
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ちょっぴり早口で、それでいてポツリと漏らした言葉に、感謝の思いを凝縮させていた。

「まあ、若いほうにしたら早いほうなのかなと」

ホームの埼玉スタジアムに湘南ベルマーレを迎えた、6日のJ1セカンドステージ第7節。今シーズンから浦和レッズの背番号「10」を託されたMF柏木陽介が、記念すべきマイルストーンを迎えた。

史上88人目となるJ1通算300試合出場。サンフレッチェ広島時代の2006年7月22日、ジェフユナイテッド千葉戦の後半16分から途中出場を果たしてデビューを飾って以来、足かけ11シーズンにして到達した節目の大台に「もう300試合かな、という感じやけど」と悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「28歳7ヶ月22日」で到達した300試合

18チーム体制となった2005シーズン以来、J1は1チームあたり年間34試合を戦っている。けがや出場停止などがゼロと仮定すれば、9シーズン連続で“皆勤”して初めて通算300試合に到達する。

実際には監督が思い描く戦略をピッチの上でしっかりと体現できる戦術理解度の高さや、週末の90分間へ向けてコンディションをピークにもっていく自己管理能力も必要不可欠となってくる。

決して容易に達成できる数字ではないことは、歴代の到達者のほとんどが30歳を超えている事実が物語っている。だからこそ、柏木の「28歳7ヶ月22日」はある意味で勲章であり、本人をして「若いほうにしたら早いほうなのかな」と言わしめたのだろう。

しかも、柏木はサンフレッチェユースから昇格したルーキーイヤーの2006シーズンは、17試合の出場にとどまっている。2008シーズンに至っては、サンフレッチェがJ2で戦っているためにカウントされない。

つまり、実質的には約9年半で通算300試合に到達したことになる。2007シーズン以降は平均で32試合に出場。今シーズンもベルマーレ戦まで、全24試合でピッチに立ち続けている。

そして、歴代の達成者を見れば、柏木よりも若い年齢で到達したのは「27歳10ヶ月27日」のMF阿部勇樹(浦和レッズ)と、「28歳7ヶ月15日」のDF山口智(当時ガンバ大阪)の2人しかいない。

歴代3位にランクされる年少記録を、その時々の監督やコーチをはじめとして、柏木はプロになってから関わってきたすべての人々に捧げることを忘れなかった。

「自分がダメなときにも使ってくれて。チームメイトもそうやけど、本当にいろいろな人に支えられてここまで来ているから。感謝の気持ちをもって、これからも続けていきたい」

【次ページ 「正直、あのままよくやった」】

今年に入って、支えてくれる人が増えた。それも、もっとも身近な存在として。3月3日に入籍したTBSアナウンサーの佐藤渚さんから、ベルマーレ戦を目前にして“あること”を頼まれた。

「300試合だからと、珍しく試合を見にいきたいと嫁が言ってきたので、一番前のチケットをプレゼントしたけど。やっぱり300で50を取れたら一番カッコええなあとは正直、思っていた」

キックオフ前の時点で、柏木はJ1通算49得点をあげていた。節目となるゴールに王手をかけてから3試合目。4‐1と大量3点のリードで迎えた後半終了間際に、ビッグチャンスが訪れる。

カウンターからDF槙野智章が中央をドリブルで駆け上がっていく。その左後方をトップスピードでフォローしていたのは、後半途中からシャドーへポジションを一列上げていた柏木だった。

果たして、槙野は柏木へのスルーパスを選択する。歯を食いしばりながら強めのパスに追いつき、角度のないところをから利き足の左足を振り抜いたが、強烈なシュートは左側のネットの外側にそれてしまった。

「正直、あのままよくやった」

試合後の取材エリア。ファーストステージ終盤から続く連続無敗記録を「9」に伸ばした余韻が残るなかで、このときだけは“我”を優先させたと、柏木は苦笑いしながら打ち明ける。

「折り返すことも考えたし、正直、そっちのほうが点も入ると思ったんやけど、シャドーの位置に入ったのに、シュートを1本も打てずに終わるのも悪いかなと思って。自分のなかでは、キーパーのイメージもできていた。ニアを消した分、ファーが空いていたので、ファーを狙ったんやけどね。

ただ、ああいう時間帯にマキ(槙野)が前へ攻め上がっていったときに、しっかりと後ろに回れるというのは、すべての選手ができるわけじゃないから。あれでオレにマークがついてきたら、別にオレを使うことなく、マキがシュートを打ってもいいわけやからね。

要は動き出しの部分で、みんなのために動くということ。自分のためだけじゃなくて、味方のために動くということがもうちょっとできたら、ウチのよさというものがもうちょっと出てくるのかなと思う」

実はこのとき、柏木は左足の激痛とも戦っていた。4‐1のまま試合終了を告げるホイッスルを聞き、ピッチ中央でのあいさつを終えた直後に、もう限界とばかりにスパイクを脱いで裸足になってしまった。

「めちゃ痛かった。砂が入り込んだのかなと思いながら、残り30分くらいやっていたんやけど。見たら左足の裏の皮がベロンとむけていた。火傷というか、おそらく試合中にちょっと空気が入って、水ぶくれみたいになったものがむけたのかなと」

レッズを率いるミハイロ・ペドロヴィッチ監督は、後半開始と同時にMF関根貴大に代わってMF梅崎司を投入。柏木をボランチからシャドーにあげた後半17分には、2枚同時に交代のカードを切っていた。

午後6時半のキックオフ時点で気温が30.6度、湿度は65%に達する消耗戦。不測のアクシデントが起こりかねない過酷な状況で、実際に柏木の左足には異変が生じ、時間の経過とともに悪化していった。

しかし、もう選手交代は許されない。痛みをこらえながら、それでもチャンスやピンチになると無意識のうちにスプリントを繰り返した柏木は「正直、あのままよくやったと思う」と自らをねぎらっている。

◆状況判断力とアイデア

「けっこうきついから、2人を同時に代えることはやめてほしいという話はハーフタイムにしたんだけどね。やっぱり2枚交代だったし、試合の流れ的にはそれが勝ちにつながったけど、今日の暑さを考えたら残り10分、15分で足がつる選手が出てもおかしくなかった。前半はスロースタートというか、暑くてホンマに動けなかった部分もあるから、悪いサッカーだった前半に2点を取れたことが大きかったと思う」

前半8分に先制しながら、追加点を奪えないまま迎えた同42分。ゴール前でこぼれ球を拾ったMF武藤雄樹が抜け目なく押し込んだ一撃は、柏木の走力と状況判断力、そしてアイデアに導かれたものだった。

自陣から仕掛けたカウンター。左タッチライン際でMF高木俊幸がボールをキープする間に、柏木はボランチの位置から左前方へ広がるスペースへ向けて、グングンと加速していった。

「トシ(高木)の位置は見えていたし、オレが前を走れば、トシからオレ(にパス)というのはあると思って走った。武藤がすごくいい走りをしていたけど、相手もちゃんとついてきたから、これはパスを出すのは難しいと。それで自分でちょっと仕掛けながらシュートにもっていくか、誰かがいい上がりをしてきたら、というのはしっかりと見ていた」

高木からの縦パスに追いついたとき、ニアサイドを目がけてフォローしてきた武藤の背後には、DF三竿雄斗が食らいついていた。ボールをキープして2人を引きつけながら、柏木は視野を広く保つ。

見つけたターゲットは、ゴール中央へ駆け上がってきたFW李忠成。柏木の左足から放たれた横パスは、必死に戻ってきたDF岡本拓也のスライディングに遮断されたが、こぼれ球が武藤の目の前に転がっていった。

終わってみれば、後半は左足に痛みを抱えながらも、柏木の総走行距離は阿部に次ぐチーム2位の10.784キロを記録している。すべてが至高のハーモニーを奏でているからか。2点目を解説する言葉も“熱”を帯びてくる。

【次ページ ワールドカップ、現実的な目標に】

「ここがチャンスだと思ったときに、3人が前へ行ったことがゴールにつながった。取らなきゃいけない場面で、ここにきて前へ飛び出す力がすごくよくなっている。オレ自身、いまは試合のなかで常に余裕をもってできている。楽しんでやれているし、守備も頑張れるし、決定的なパスも出せて、自分もシュートまでいけるシーンが増えている。いまが一番いいんじゃないかな」

300ものリーグ戦を積み重ねたすえに、たどりついた理想の境地。波乱万丈に富んでいるはずのサッカー人生を、柏木は「いいプレーをしたときより、ミスをしたときのほうが意外と覚えている」とこう振り返る。

「150試合くらいはよかったし、100試合くらいは悪かったし、50試合くらいは普通という感じかな。生き生きとサッカーをする時間が、自分のよさを引き出してくれていると、ここ最近はずっと感じている。まずは自分が楽しくサッカーをすること。それができない何年間があったかなと。それは覚えている」

新天地レッズへの順応に苦しんだ2010シーズン、そして監督交代などでチーム内が混乱し、残留争いを強いられた2011シーズンに経験した試合の大部分は、柏木が「悪かった」と位置づける100試合に含まれるはずだ。

心の部分がスランプに陥っても、真正面から自分自身にぶつかってきた。だからこそ、サンフレッチェ時代に薫陶を受けた指揮官、ペトロヴィッチ監督が就任した2012シーズン以降は右肩上がりに転じてきたのだろう。

最年少で300試合出場を達成した阿部は34歳になった今シーズン、通算493試合と「500」の大台到達へ秒読み状態に入っている。最後の4シーズンをJ2でプレーした山口は、通算448試合のまま昨シーズン限りで引退した。

そして、柏木に歴代3位の座を奪われた36歳のMF遠藤保仁(ガンバ大阪)は527試合にまで伸ばし、中澤佑二(横浜F・マリノス)とともにJ1通算出場試合数において歴代2位タイにランクされている。

チームとして何か特別な結果を

今年の12月に29歳になる柏木は「300」を通過点として、まだまだ通算出場試合数を伸ばせるだろう。もっとも、個人的な記録よりも重要なものがあると、柏木本人は“秋の陣”を真っすぐに見つめる。

「もちろん理想は500を目指せたらいいけど、そういう試合数よりも、チームとして何か特別な結果を残すことがオレにとっては大事なことなので」

特別な結果とは、もちろんタイトル獲得にほかならない。サンフレッチェ時代だけではなくレッズの一員となった2010シーズン以降も、残念ながら柏木はタイトルと無縁のサッカー人生を送ってきた。

12勝5分けとファーストステージを史上初の無敗で制した昨シーズンも、年間チャンピオンを決めるJリーグ・チャンピオンシップの準決勝で、延長戦のすえにガンバに屈している。

今シーズンも開幕からファーストステージの上位戦線につけながら、勝負どころの終盤戦になって鹿島アントラーズ、ガンバ、サンフレッチェに3連敗。優勝をアントラーズにさらわれた。

心機一転、捲土重来を期したセカンドステージは川崎フロンターレと6勝1分けの勝ち点19で並び、得失点差でわずかに後塵を拝する2位。年間総合順位でもフロンターレに勝ち点5差の2位につけている。

ファーストステージでともに涙を飲んだフロンターレも気持ちを切り替え、勝ち続けている状況が柏木の闘志に火をつける。運命の悪戯か。20日にはホームにフロンターレを迎える大一番が待っている。

ワールドカップ、現実的な目標に

「自分たちはいままで追いかける立場になることがあまりなかったので、川崎が勝ち続けていることは逆に楽しみでもある。直接対決が近いわけだし、そこで勝てば(年間総合順位で勝ち点が)2差になってちょうどいい、という感覚もある。慢心することなくやっていきたい」

ハリルジャパンにも継続して招集されるようになり、一時は距離が遠くなっていた「日の丸」を実力で手繰り寄せた。夢として位置づけられてきたワールドカップもまた、現実的な目標に変わりつつある。

左足から多彩なパスを繰り出す天才肌の意外性と、ハードワークと球際の激しいバトルを厭わない泥臭さ。いつしか「走るファンタジスタ」と呼ばれた柏木は雌伏の時をへて、176センチ、73キロの体に搭載された武器をさらにバージョンアップ。心技体のすべてで、もっともまばゆい輝きを放とうとしている。

《藤江直人》
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