【THE REAL】ファジアーノ岡山・矢島慎也が手倉森ジャパンにもたらす輝き…J2の舞台で磨かれた心技体 | Push on! Mycar-life

【THE REAL】ファジアーノ岡山・矢島慎也が手倉森ジャパンにもたらす輝き…J2の舞台で磨かれた心技体

サッカー人生を賭けた決断が吉と出た。リオデジャネイロ五輪に臨む日本代表にJ2クラブからただひとり、選出されたファジアーノ岡山のMF矢島慎也の日常には、追い求めてきたサイクルが力強く脈打っている。

エンタメ エンタメ
矢島慎也 参考画像(2016年1月30日)
  • 矢島慎也 参考画像(2016年1月30日)
  • 矢島慎也 参考画像(2016年6月29日)
  • 矢島慎也 参考画像(2016年1月16日)
  • 矢島慎也 参考画像(2016年6月29日)
  • 矢島慎也 参考画像(2016年5月21日)
  • 矢島慎也 参考画像(2016年5月11日)
  • 矢島慎也(左)とサッカーU-23日本代表の手倉森誠監督(2016年1月16日)

サッカー人生を賭けた決断が吉と出た。リオデジャネイロ五輪に臨む日本代表にJ2クラブからただひとり、選出されたファジアーノ岡山のMF矢島慎也の日常には、追い求めてきたサイクルが力強く脈打っている。

「練習でも課題は出ますけど、やはり試合で出る課題のほうが多いし、試合に出ないと気づかないこともある。その意味では試合に出て、課題を見つけて、日々の練習に落とし込み、競争して、試合に出てまた新たな課題を見つけて、というサイクルがここではできている」

埼玉県浦和市(現さいたま市)で生まれ育ち、ジュニアユースから浦和レッズで心技体を磨き、2012シーズンにトップチームへ昇格。生粋の“浦和っ子”である矢島はプロ4年目を迎えた2015シーズン、生まれ変わりたいという一念でオファーを受けたファジアーノへの期限付き移籍を決めた。
選手層が厚いレッズにおける出場機会は時間の経過とともに減少し、2014シーズンにおけるリーグ戦出場はゼロに終わった。ベンチ入りもわずか7回。危機感が環境を変えることを決断させた。

「浦和のときも向上心がなかったわけではないんですけど、やはり試合に出ることで生まれる課題というものがあると思うので」

もちろん、J2だからといってすぐにピッチに立てるほど、サッカーは甘いものではない。2009シーズンから戦いの舞台をJ2へ移し、8位が最高位だったファジアーノにおいても矢島は悪戦苦闘を強いられている。

■ファジアーノ岡山で訪れた転機

ポジションはレッズ時代と同じシャドーだったが、FC岐阜との開幕戦で6分間出場した後は、4試合連続で出場機会なし。試合に絡めるようになっても、先発した13試合のうちフル出場は4回で、途中出場は7回。平均のプレー時間は約60分だった。

転機はちょうど1年前の7月22日、敵地に乗り込んだセレッソ大阪戦で訪れる。ポジションをボランチに移した矢島は、最終節までの18試合のうち、出場停止を除く17試合で先発。フル出場も14回を数え、平均プレー時間は約89分にはねあがっている。

シャドーを務めていたときは攻撃が最終ラインやワイドからのロングボール主体で、ワントップの選手が落としたボールやセカンドボールに対する準備ができていなかった。いわゆるオフ・ザ・ボールの動きが乏しかったうえに、走力を含めた運動量も足りなかったのだろう。
しかし、3試合連続勝ち星なしで、14位にまで順位をさげていたこともあり、ファジアーノは攻撃の再構築を余儀なくされる。そして、白羽の矢を立てられたのがテクニックに長けた矢島だった。

ボランチの位置で常にボールに絡む。パスの出し手として、そしてパスの受け手として。ゴールに絡むことを意識しながら、矢島は試合のたびに課題を見つけては消化し、再び試合に臨むサイクルのなかで成長のスピードを加速させてきた。

まずはパスの出し手としてはどうか。矢島は「常に首を振ることを意識している」とこう続ける。

「味方の動きの癖や、どこでボールを欲しがっているのかを把握するために、自分は首を振ることで周りを見ることを意識している。好き勝手に動いてくれて、そこで自分が合わせられればゴールにつながる。それは自分の特徴にもなっていると思う」

【次ページ 磨かれてきたプレー】

次にパスの受け手としてはどうか。味方にパスを出してから、再び自分が受けて相手ゴールに迫るプレーをどんどん増やしていきたいと、矢島は新たな課題を掲げている。

「点を取れるボランチはやはり重宝されると思うし、その意味でもパスを出してから(相手ペナルティーエリアの)中へ入っていって、相手と駆け引きを演じながら(最終ラインの)裏へ出たり、足元でもらったりするプレーも続けていきたい」

ボランチとしてプレーした昨シーズンの後半戦で、揺るぎない信頼を得るに至ったのだろう。期限付き移籍を延長し、「24」だった背番号を今シーズンから「10」に変えた矢島は、U-23日本代表に招集されてトゥーロン国際大会を戦った間の2試合を除いた22試合で先発。平均プレー時間は引き続き約89分を数えている。
昨シーズンの後半から生まれているサイクルにもたらされた成長の跡を、ピッチの上で明確に具現化させたのが、U-23日本代表の一員として戦った6月29日のU-23南アフリカ代表との国際親善試合だった。

■磨かれてきたプレー

1点を追う前半37分。MF井手口陽介(ガンバ大阪)が出した縦パスを下がって受けようとしたFW浅野拓磨(サンフレッチェ広島)が、相手選手ともつれて転がされる。

こぼれ球に反応したのは矢島とMF大島僚太(川崎フロンターレ)。次の瞬間、矢島は右手で大島へサインを送り、ボールを収める。おそらくは大島へ「そのまま自分を追い越して前へ行け」とうながしたのだろう。

ボールをため、大島が最終ラインの裏へ抜け出すタイミングを待って絶妙のスルーパスを通す。大島の右足にピタリと入った柔らかいタッチのボールは、左サイドをフォローしてきたFW中島翔哉(FC東京)へわたって同点ゴールが生まれた。

45分にはパスの出し手と受け手の両方で、まばゆい輝きを放つ。中島からのサイドチェンジのパスを右サイドで受けた矢島はドリブルで緩急をつけながら、右サイドバックの室屋成(FC東京)が攻め上がってくる時間を稼ぐ。

十分にタメを作ってから室屋へパスを通すと、ゴールとは反対方向に生じていたスペースへ素早くポジションを移す。このとき、右手でさりげなく室屋へメッセージを伝えていた。ボールを折り返せ、と。

「(室屋)成がオーバーラップしてきていたのはわかっていたし、そこで一気にスピードアップできたので、あのゴールに至る崩しはかなりイメージ通りだった。同点ゴールを含めて、形はよかったと思う」

室屋がマイナスの方向へ送ったクロスにダイレクトで右足を合わせ、豪快にネットを揺らした勝ち越しゴール。南アフリカ戦はボランチではなく2列目でのプレーだったが、ファジアーノで試合を重ねながら磨かれてきたプレーを、日の丸を背負った戦いでもしっかりと発揮することができた。
チームが立ち上げられた2014年1月から、矢島はほぼすべての試合で招集されてきた。味方の特徴を把握しているからこそ、自らがレベルアップを果たしている最中にいるいま、自然と言葉も弾んでくる。

「オリンピック代表の前線の選手とはほとんど一緒にやっているので、パスを合わせられる自信はあります。動き出しは目に入っているので、あとは自分が出すパスの質次第ですね。強弱のアクセントや、上を通すのか、あるいは下で速いボールを通すのか。足元なのか、スペースなのかと。そういった判断や、判断を下した後のテクニックが自分には求められていると思うので。

アシストも増やしたいし、もちろんゴールという部分も増やしていきたい。連携の部分に関してはそれほどストレスを感じませんけど、オリンピックの舞台で勝つためには、精度をさらに上げていかないといけない」

【次ページ 岡山からリオデジャネイロへ】

U-23南アフリカ代表戦でも「10」番を背負った。チームが立ち上げられたときから中島の定番となってきたが、右ひざのじん帯を痛めて長期離脱を強いられていたこともあり、5月のガーナA代表戦から矢島に託されていた。

そのガーナA代表戦で、矢島は2ゴールをあげている。成長の跡を認めたからこそ、チームを率いる手倉森誠監督は背番号を変えず、U-23南アフリカ代表戦で復帰した中島には「13」番を与えた。

「いまは矢島のほうがふさわしい。(中島)翔哉には“自分で奪い返せ”と言いたい」

指揮官の檄に応える形で、中島はU-23南アフリカ代表戦で2ゴールをゲット。本大会に臨む代表メンバー18人のなかに名前を連ねたうえで、背番号「10」を取り戻した。
最終的に「9」番を与えられた矢島は、「見た感じだと、僕が何だか(翔哉の)噛ませ犬になったみたいなんですけど」と苦笑いしながらこう続ける。

「翔哉がこの世代を引っ張ってきたわけだし、僕としては翔哉が『10』番でいいと思いますよ。僕自身、もともとつけたかったわけじゃないですけど、テグさん(手倉森監督)が『10』番を託してくれたおかけで、自分もさらに成長しなきゃいけないと思いました。

比べるのはあれですけど、日本代表の『10』番は岡山の『10』番とはまったく違うプレッシャーがあった。そのなかでゴールを奪えたし、結果を出すこともできたので、自分にとっては『10』番を背負うことは必要だったのかなと。

『9』番は(北浦和サッカースポーツ少年団でプレーしていた)小学校6年生のとき以来ですけど、そのときはボコボコ点を取っていたので縁起がいいかも。ちょっと似合わないですけどね」

■岡山からリオデジャネイロへ

ブラジルへの出発に先駆けて、7月19日と20日に千葉県内で開催された五輪代表の短期合宿に、矢島は参加していない。20日のJ2のリーグ戦が開催されたためで、ホームのシティライトスタジアムに横浜FCを迎えた一戦でファジアーノは0-1で苦杯をなめている。

ボランチとして先発し、フル出場した矢島は以前にこんな言葉を残している。

「連敗だけはしちゃいけないと思っています。まだまだここからだし、昨シーズンと比べてみんな目標を高くもっているので」

25試合を終えた段階でファジアーノは5位と、J1昇格プレーオフ圏内につけている。すでに昨シーズンの勝ち星「11」に並び、新たな歴史を打ち立てるために残り18試合を戦っていく。

そのなかで最大で5試合チームを離れることになる矢島だが、チーム創設以来、初めて代表選手をオリンピックの舞台に送り出す喜びを背中に感じている。

「岡山のサポーターは本当に優しくて、負けても拍手をしてくれる。そういうみなさんのためにも、期待されている分、リオの舞台では見せないといけない」
ファジアーノはここまで連敗なし。快進撃の続編をチームメイトに託し、ブラジルの地へ向かいながらも、矢島の心には直近の試合で痛感させられた課題が渦巻いている。

「守備におけるポジショニングがまだまだ甘いので、そこは向上させる余地があるのかなと。岡山で試合に出ていることが、自分のなかで一番変わった部分。試合に出る、出ないで相当変わることを考えれば、もっと上手くなるために、これからも自分に厳しく、意識をさらに高くもっていきたい」

高い志を抱きながらJ2の舞台で潜在能力を開花させ、2列目に加えてボランチとしても新境地を開拓。手倉森ジャパンの戦いにも幅をもたらした矢島は、おそらくはリオデジャネイロでの戦いからも新たな課題を見い出し、手土産として岡山に合流した後にさらなる飛躍への糧とするはずだ。

《藤江直人》
page top